2020年2月27日木曜日

家族・結婚・恋愛・セックスを通して「普通」を考える:村田沙耶香_消滅世界の書評

普通とはなんだ...


村田沙耶香さんの、作品『消滅世界 (河出文庫)』を読んだ。
読書会の担当だったので、ちょっといつもより深めてメモしながら読んだりしてた。せっかくなのでこちらでも書評っぽくアレンジして書いておく。




消滅世界 (河出文庫)



※以下、ちょっと過激な内容とネタバレを含みます※



村田ワールドの所感


実は村田沙耶香さんの作品、僕は三作目でした。
しろいろの街の、その骨の体温の 』、『コンビニ人間』に続いての本作。
ちょっと久しぶりに読んだのだけれど、今回のは『しろいろの街の、その骨の体温の 』に進み方とか、描写とか、視点とかがすごく似ていた気がする。

村田さんの描く女性の感情は生々しい。
でも、その生々しさが訴えかけてくる問いそのものは
正しい、つまり訴えかけられて然るべきである、という気がする。
皆さんはどうでしょうか。


全体を通して、「女性」の主人公の目を通してみる世界観から、世に正しさとは何かを問うような内容だったと思う。

普通とはなんだろう。

これを終始いろんな角度から突きつけてくる。「普通」を考えていると出てくるのがダイバーシティとマイノリティというテーマ(分け方)だ。いろんな視点からこうした議論を展開してみることで、今回は普通とは何かを考えてみたい。

例えば本作では、アニメーションで制欲処理する人が大半だという世界観が描写される。そうなると、セックスしてる人たちがマイノリティになる。こんな世界って、ありでしょうか?


1. アニメーションと、リアル:あっちの世界と恋すること


アニメの登場人物(キャラ)に恋したことがある人はいるだろうか。
ある場合、現実世界での恋との違い / 共通点はなんだろうか?

本作では、はじめの方から、主人公だけでなく、社会にいるいろんな人が、リアルの人にも、アニメのキャラにも恋をする。僕は本当の意味でアニメの登場人物に恋したことは、多分ないと思う。特定のこのキャラ可愛い...くらいはあるけれど、そもそもあまりアニメも見ない。

ので、終始「キャラ」に恋する人の気持ちが全然わからなかった。
実際、現実でもいまだに「キャラ」を心から愛していると人に言えば、きっと「この人やばい」って思われると思う。まだ。ただ、本の中の世界では、この世界観は人々の「普通」の範疇だった。

それどころか、アニメのキャラで性欲処理さえしている人もいる。
性欲処理のためのアニメーション?
さて話は脱線するが、それは本当に恋をしている、というのだろうか?

「性欲処理のためのアニメーション」というのは、実在すると思う。これは、わかる。実際、アダルトコンテンツをのぞいてみると、性欲処理のためのキャラが登場する。そういうジャンルがあるくらいだから、事実として、一定の支持層がいることがわかる。

ということは、このキャラに対して「恋する」というところまでも、価値観は私たちの目の前にまで、落ちてくるのだろうか、、。どう思いますか。


問い:文化が受け入れられる時


◆このように、アニメーションで性欲処理するようになる、という文化が大衆の元に根付くためには、どこかで文化レベルが普及したり既存の文化が逆転すると言った事象が起こると思っている。これは果たして、どのようにして起こり得たのか。戦争の背景だけか?

(脚注:本の中では、男性が戦争に駆り出されていったがために、子孫を残す必要性から人工授精が用いられ、女性が子供を孕むようになった。筆者の解釈では、キャラへの恋というのも、これに伴って出てきた文化とされている。)

◆物語の中の人物に恋をすることは、我々の世界でもこれからは普通になるのか?人が周りにたくさんいたとしても、物語の登場人物が性的にさえもリアルを超えられる理由はなに?セクシュアルを刺激できるコンテンツって、相当強い。


2. 生殖に関するテクノロジーの民主化


どうしてこの世界では、人工授精の技術が受け入れられたのだろうか。この技術が民主化した背景を考えてみるのは一定の価値があるように思われる。

本当に戦争云々(上述)だけが原因なのだろうか。
多分違うと思う。

だって、現に戦争・紛争をしている国々で人工授精はそんなに民主化していない(少なくとも筆者の目で見る世界はそうだ)。そうだとすれば、きっと消滅世界の中で起きた戦争は、よっぽど、、本当に男性が全員出ていったくらいいなくなったのか、とかそういう可能性くらいしか考えられない。

そうでなければ、何か別に、この技術が民主化する理由があるはず。
人工授精賛成派の意見を考えてみよう。

パッと思いつくのは、「優生学」的思想だ。
ダウン症の子供を産まなくて済む、とか、より頭がよくなる遺伝子を持った子供を育てようとか、そういう話が時としていまだに持ちかけられる。リアルの世界では、やはりデザイナーベイビーはとても大きな問題。

ただ、面白かったのは、消滅世界の中では決して優生学的な世界観が描かれていたわけではなかった。これはとても不思議なこと。まあ、物語の設定上そうしたのだからって言われたらそれまでなのだけれど、必ず人工授精するとなったら、こうした良からぬアイデアを持ち出す人もいるはずなのに、本の中の世界では、みんなで子供を愛してみんなで育てよう、っていうかなり道徳的に受け入れやすい価値観が描かれていたのである。


3. 倫理観・人々の規範 (家族観・恋愛観・生殖倫理)


◆この人たちにとっての家族家庭とは何か?
 恋や恋愛、恋人とは何か?セックスとは何か?
 そしてこれらにはどんな役割があるのか、なんのためなのか。
 僕らの言うそれとちがうのはどこか。


このような疑問を僕に投げかけてきた、本の中のフレーズや読んでて印象に残ったところを一部(編集も込みで)抜き出す。

・セックスは不衛生で消えて無くなるのか? (p.50)
・どうして同性結婚が認められないのだろう?(p.72)
・なんで夫婦間のセックスが近親相姦と呼ばれるようになった? そのパラダイムシフトの経緯は?
・家の中が清潔で、外が恋愛と性欲で汚れてる。そういう意味では原始に戻った?(p.94)
・本能とは。子供をつくりたいと思うこと?家族になりたいこと?(p.158)
・恋とセックスに意味が見出せなくなった時、人は限界を迎えるのか。合理化が究極に追求された世界(p.184)

これらを踏まえた上で、あなたは…どのような家族、恋を望みますか?

本の中の世界では、セックスがタブー視されている。不衛生で汚いもので、夫婦でやろうとしたら、近親相姦呼ばわりの始末。現代では、割と家の中でセックスとか生々しいことが行われる感じだけれど、本の中では性欲処理などは家の外で外で行われるようになっていって、汚い場所の逆転が起こっている。

というか、これだけ人工授精が民主化した世界では、本当に人はせっくすなんかを必要とするのだろうか。もはやなんのためにセックスしているのか、わかんなくなってくる。


まとめに


読後感。皆さんはどうだったでしょうか。
解説によると、女性は割とユートピア的なイメージで読後を迎え、男性は逆だという意見が多いそうだ。確かに、僕もちょっとディストピア的イメージで苦い読後感を覚えている。



村田さんは最後の方で、よりダイレクトに私たちの価値観に対して、疑問を投げかけてくる。

p.224 私は、この世界でも正常だった。
p.243 1000年後、私たちはどんな動物になっているのだろう
p.248 正常ほど不気味な発狂はない

技術の進歩が目覚ましい中で、私たちはもっと倫理や哲学・価値基準に対して思考を巡らせなければならない時が来ていると思う。そうでなければ、ここで描かれていた世界のように、はたから見たら「え、それまじやばいって」みたいな考え方が「普通」になってしまう。

これでは、ナチスドイツの大量虐殺(ホロコースト)がいつ繰り返されてもおかしくないような状態だ。技術の本質が進歩することであるならば、私達は、その迫り来る技術を前に目を背けるのではなく、しっかりと正面から向き合って、技術が変えてしまうパラダイムに適した価値基準を考え抜き、それを受け入れていく必要があるのだと思う。



関連書籍


コンビニ人間 (文春文庫)





しろいろの街の、その骨の体温の (朝日文庫)