夢見る人は、挫折するよって話
僕が人生で2度、「挫折」を味わったという話を以前している。
一度目、中学のサッカー部での出来事だ。
→今日は二度目の挫折の話をしたいと思う。
二度目の挫折は高校三年生の時。
受験生であれば多くの人が通る道、センター試験の時だ。
高校時代に、「夢」を見せてくれた友達
僕がいた高校は、しがない田舎の公立高校、
ちょっと偏差値が普通より高い高校。
いわゆる進学校とか名門校とはかけ離れているような学校で、
毎年東大、京大に一人ずつ出るくらいの、普通の高校にいた。
ところがである。
高校一年の夏終わりくらいか。
僕は、世間のいう「いい大学」、偏差値の高い大学を目指すことになる。
正確な理由は今でもよくわからないけど、
二人、僕に「夢」を見させてくれる友達がいた。
二人は定期試験で常に学年1,2 位を争うような超優秀な生徒。
クラスも僕と違って、一番優秀なクラスにいた。
一方僕はといえば、320人いる学年の中で、定期試験は100位くらいで、
科目によっては280位くらいのものもありと、まあ普通に行けば
地方国立大学を目指すような位置にいた。
何でかよくわかんないんだけれど、
僕はその優秀な二人から「東京大学」に行かないか、なんてそそのかされる。
二人と毎日一緒にいて、毎日毎日「東大へ行こう」とか言われていた。
「理系の研究者になって、白衣を着るんだ」なんて夢を最高の笑顔で語られていると、まるで僕も東大へ行くのが当たり前みたいな日常を過ごしていた。
受験に賭けるようになった高一の冬
周りの友達2人は東大へ行くのが当たり前。
(きっと、灘高校とか開成高校とかってのは、ガチの意味でこんな環境なんだろうな。)
気づけば僕は、勉学(東大に受かるための勉強)に励むようになり始めていた。
ところがここで、壁にぶつかる。
高校一年、冬休みに入る手前のお話。
このまま部活を続けると、
東大に行くための勉強量が足りない。
(僕は高校に入ってもサッカーを趣味として嗜む程度に、部活で楽しんでいた。)
俗にいう「トレードオフ」という概念にぶつかる。
Wikipediaによると、トレードオフとは次のように綴られている。
一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという状態のこと。
二兎を追うものは、一兎をも得ずというわけである。
(ちなみに、筆者はこの概念を非常に重要視している。)
話を自分のことに、当てはめると、
サッカーをこの調子で続ければ、東大に行けない。
というような具合である。
最初の壁を乗り越えるため、
僕は部活の休部を選択する。
これが自分にとってとっても大きな転機となった。
思い切って休部という選択をすることで、
自分の持てる時間の100%を東京大学に入るための勉強に使うことができた。
あえて思い切った選択をすることで、
24時間という、神様から人間に平等に与えられた「1日」をとっても有意義に使うようになれた。
朝起きて寝るまで、一刻も惜しいような休部生活が始まる。
ちなみに、この休部は、挫折じゃない。成功体験だ。
(挫折はセンター試験のその日までやってこない。)
高校一年、冬休みに入る手前のお話。
このまま部活を続けると、
東大に行くための勉強量が足りない。
(僕は高校に入ってもサッカーを趣味として嗜む程度に、部活で楽しんでいた。)
俗にいう「トレードオフ」という概念にぶつかる。
Wikipediaによると、トレードオフとは次のように綴られている。
トレードオフ(英: Trade-off)とは、一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという状態・関係のことである。 トレードオフのある状況では具体的な選択肢の長所と短所をすべて考慮したうえで決定を行うことが求められる。
一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという状態のこと。
二兎を追うものは、一兎をも得ずというわけである。
(ちなみに、筆者はこの概念を非常に重要視している。)
話を自分のことに、当てはめると、
サッカーをこの調子で続ければ、東大に行けない。
というような具合である。
最初の壁を乗り越えるため、
僕は部活の休部を選択する。
これが自分にとってとっても大きな転機となった。
思い切って休部という選択をすることで、
自分の持てる時間の100%を東京大学に入るための勉強に使うことができた。
あえて思い切った選択をすることで、
24時間という、神様から人間に平等に与えられた「1日」をとっても有意義に使うようになれた。
朝起きて寝るまで、一刻も惜しいような休部生活が始まる。
ちなみに、この休部は、挫折じゃない。成功体験だ。
(挫折はセンター試験のその日までやってこない。)
休部を経て、センター試験までの成長
休部といってもたった2週間のことだった。
にもかかわらず、先ほども述べたように、
この二週間は僕にとって、本当に人生を変えてしまうような転機になる。
2週間は多分1日14時間くらい勉学に使っていたかな。
睡眠は6時間で、朝起きてから夜眠るまで、とにかく全ての時間を勉強に使おうとしていた。
朝起きたら眠らないように、英語のCDを聴きながら音声と同じ言葉を発音する(シャドーイングという)。
自転車通学の途中では英語のリスニングをしながら通っていたし、
休憩時間は常に単語帳見たり、何か暗記したり教科書読んだり、
学校が終わったらすぐに自習室に飛び込んで22時まで勉強、帰って飯食って風呂入って(風呂に入っても濡れない単語帳みたいなのを浴槽で見てた)また次の日に備えて寝る。
そんな生活を2週間過ごして、冬休み明けの試験で僕の成績は
グッと伸びた。
たった2週間だけど、学年順位にして
100位くらいだった順位から、一気にぶち抜いて20位くらいまであげたかな。
これで僕は、「勉強の仕方」を完全に理解した 。
(なんてことを塾の先生に言ってしまったらしい。地方の塾だけあって、これは今でも伝説として語り継がれているらしい)。
で、部活復帰後も順調に学年順位をあげ、
高校二年生になった時の最初のテストで僕は学年順位3位(だったかな)をとる。
やっと、「夢を語る友達」と、並んだ。
センター試験。その日まで見えていなかった現実。
実は高2でハーバードに行こうとかそういう話も出たりするのだが、今回は割愛。
そうこうして、割と東大に行くのも夢じゃなくなったという状態で迎えたセンター試験。
実は、学年順位を一桁にあげたあたりから僕は伸び悩んでいた。
(これは、受験を終わって振り返って気づいた事実だ。)
その頃は伸び悩んでいるとは気づかず、ギリギリ東大に届かないくらいの位置で高2,高3を過ごしていた。
迎えたセンター試験当日。
心身ともに、コンディションは割とよかった。
やることはやったんだから、あとはいつも通りの実力を出してくるだけ。
学校の先生に見送られながら会場へ。
試験を終えて見て、
手応えも、まあまあそれなりにあった。
いや、むしろ結構よかった。
だけど、
蓋を開けてみれば大失敗だった。
僕は、センター試験で、こけた。
自己採点をしたのは、センター2日間を終えてからその次の日。
センター1日目とかも速報で採点はできないこともなかったけど、僕はしなかった。
(今更だけど。本当に、しなくてよかった...。)
自己採点して、文系科目で特にこけた。
国語と地理で大失態。
三年生後半に入ってからの模試でとったことのないような得点だった。
理由はよくわからないけれど、やっぱり勉強不足だと思う。
友達と掲げた「夢」に付き合うのは、ここで終わってしまう。
東大は、足切りにさえ届かなかった。
久しぶりに、悔しさに涙した。
自己採点を終えて自宅に帰ったこの日、
ずいぶん久しぶりに思いっきり泣いた。
とにかく悔しかった。
帰ってきて、親にセンター失敗したって言って、
東大行けへんわぁとか言いながら部屋に戻った。
カバン置いて布団潜って、
1-2時間くらい誰にも聞こえないように泣いた。
大声出しても聞こえないように布団を被って枕に顔押し付けて
わんわん泣いてたの、今でも覚えてる。
本当にこれで、東大に行けなくなったんだっていう現実が目の前に来た時、
耐えられなくなったみたい。
そして、今まで当然のように東大に行く自分しかイメージしていなかったから、
余計に絶望は大きかった。
だって、実を言うと、受験期間中、毎日イメージトレーニング欠かさずしてた。
毎朝起きたら自己暗示するように、
「私、(筆者の名前)は東京大学に合格する。」って15回ノートに書いてた。
この前実家帰った時にそのノート見返した。今もまだある。
嘘だと思う人には見せてもいい。
絶対入ってやるんだってのがひしひしと伝わってくるノートで、
平凡な自分が見たら恥ずかしくなる。
次の日から...
泣いたのはたった一日。
多分これだけ泣いたのはこの人、サッカーで小学生の時、市内の選抜チームから外された時以来だ(あと、生まれた時と。)。
ほんというと、浪人したかった。
するって親に言った。
でも、うちにはそんなお金ないって親から言われた。
そりゃそうだよね。
別に恥ずかしいことじゃない。
もう一年親のすねかじる自分ってのも、とっっても嫌だった。
次の日からは切り替えて、仕方なく志望校切り替え。
この辺で僕は、決意する。
「大学では見返してやる」って。
大学入って、勉学では誰よりも秀でてやると決めた。
実際、僕は大学での成績は人一倍優秀になる事ができた。
今まで会って来たどの学生よりもGPA(大学入ってからの学業成績)が高く卒業できた。
この辺、どうやって挫折乗り越えて言ったか、また次らへんで書きたい。。
久しぶりに筆をとると、書くのが少し遅くなるなぁ。
わらしべ長者のページも更新しないと!
また近いうちに書きます。