2019年1月28日月曜日

プログラミングは本当に30年後も生き残るスキルになりうるのか。

30年後の社会で必要されるスキルは何か


5年先にどうありたいだろうか。
30年先には、どのようなスキルを持っていたら生き残れるであろうか。
スキルについて、思うことがある。


バイオ
これは今やっておいても、30年後も通じると思う。
基礎研究の分野でやっていることを誇りに思っている。


ではもっと大流行のプログラミングはどうだろうか。。
巷ではバズワード的に叫ばれている。少なくとも筆者の周りは。




プログラミングは急速に民主化する


ここ5年くらいの間にAIだの自動化だのでプログラミングについて叫ばれる回数が以前にもまして多くなった気がしている。

このプログラミング、僕はすぐに陳腐な技術になるのではないかと考えている。悪く言ったら廃れる。もっと正確に言うと、この技術が、"民主化"するのである。かつてのタイプライターがそうであったように。かつてのエクセルがそうであったように。

きっとワードやエクセルって代物が当時出てきたときも、今でいうPythonいじれるごく少数のプログラマーがちやほやされているみたいな感じだったのだと思う。けど今や、Excelなんてのは、事務員のおばちゃんでさえやってのけてしまうような民主化されたツール(テクノロジー)になった。どれだけ上手にこなせるかみたいな話は別として。


僕はプログラミングについてもこれと全く同じことが起ころうとしていると思う。たぶんあと5年くらいで大学生が全員さくっと退屈な仕事はPythonにやらせているとかになるんじゃないかなと。

技術の民主化と仕事の席の数


技術の民主化と仕事の席の数は反比例する。

すなわち、今でこそ希少だといわれているプログラミングだが、その価値が認識された今、、今でこそはそれを扱えるひとは、とても価値の高い人財とみなされる。


一方、技術の民主化が起こると、だれでもそれを扱えるようになるため、人の数が仕事の数を上回る。こうなればプログラミングを扱う仕事の席数はすぐにサチュレート(飽和)してしまう。


プログラミングではこの民主化速度(一般市民が扱えるようになるまでのスピード)が圧倒的に早いと思っている。あと10年もすればだれでもいじれるくらいに簡単になっていて(というのも、めっちゃ簡単な言語がでてくるに違いないので)、それが爆発的に普及するのではないかな。


きっとその頃はExcelなんてツールが陳腐化してMicrosoftが展開するサービスを凌駕してしまうプロダクトもでてきているのだろう。そうなれば、Pythonできる人の価値って、あまりもうないのかもしれない。。


民主化するタイミングを見極めるのが難しい


テクノロジーや技術は、いつか必ず人々が使えるようになるくらい手に落ちてくる。それが技術の宿命というものだ。

難しいのは、普及するのがいつになるのか、タイミングを見極めること。
こればかりは技術進歩だけに依存せず、人々のアンテナや、社会・政治ののトレンドの影響も受ける。メディアにどれだけとり沙汰されるかとか、倫理的な需要度とか、価値観の変遷とか、リソース(人とカネ)の投下がなされているかとかとか。。この辺の影響をうけて、テクノロジーは「加速度的に(指数関数的に)」民主化を遂げる。


それでも分野によってある程度、熱量というか、普及への加速がかかっているかどうかはかぎ分けられなくもないと思う。


ITの進歩がめちゃくちゃ早いのは周知のとおりである。だからこそ、ここで身につけた技術はすぐに民主化(プロにとっては陳腐化)されてしまう。だから、この分野に身を置くことを決めた人は、目まぐるしい技術革新を前にしてそれに食らいつき、常にゲームチェンジャーとなる覚悟を要される。


バイオテックの民主化速度の考察


では、バイオテクノロジーはどうだろう。

バイオの進歩はITに比べると、ある程度遅い。
遅いというと誤解を招きかねないので注釈を入れておく。
進歩が遅いのではなく、民主化が遅いのである。

例えばNGS (次世代シーケンサー) などはものすごく急速に進化している。15年前までは年単位でやっと個人の塩基配列解読ができる程度であったと思うが、今はたった1,2週間で解読できてしまう。バイオの中で他にも山ほど急速な技術進歩は見られている。


バイオテクノロジーが民主化するためには時間がかかる。
その理由はいくつか考えられる。

①倫理観・価値観の変遷

 例えば、iPS細胞から作成される受精卵を生殖に用いていいのか?遺伝子編集によって生まれるデザイナーベイビーの誕生は許されるのか?などなど。。人々の価値観を揺るがすようなテクノロジーが次々と生まれている。

そのような逃れられない技術背景で私たちは今、生き方そのものを問い直すべき時代に立たされている。急速に進歩する技術に対して、私たちは備えができていないため、常に倫理の問題になって立ち止まらざるを得なくっているのだ。


②コストが莫大なのに、投資が少ない


時間面と経済面とで考えられるが、ここでは金銭面のコストについて述べる。まず、生命科学の進展に必要とされる投資額は明らかにITよりも高額である。医薬品一つ開発することでさえ、1000億じゃままならない。

一方ITの場合、インターネットさえあればあとは技術者が魅了されるような金銭的インセンティブさえ用意されれば優秀な人財が集まって次々と技術革新が生まれる。

技術革新をバイオテックで起こそうと思えば大変なコストを要するにも拘わらず、この分野には投資が少ない。いわゆる科学研究費というものだ。年間1500億円に足りない予算を分け合ってアカデミアは研究を進めている。そしてその大半は有名な教授に割り当てられ、僕みたいな大学院生や若手研究者にはほとんどお金が降ってこない。これでは優秀な人材が逃げてしまうのも当然だ。。

投資額は進歩の速度に影響を及ぼすと言わざるを得ない。


③生き物を扱うことによる制約


こちらは時間的なコストのこと。バイオ、すなわち生物界隈の実験では多かれ少なかれ、生き物を・生ものを扱うことになる。医薬品開発が一番顕著だと思うけど、これについてはヒトに対して投与をせねばならず、これが意味するのは、長期間立たないと薬効が評価できない、副作用が判断できないということである。

ヒトでなくとも、大腸菌でも細胞でもなんでも、生き物を扱う以上成長スピードっていうのはある程度固定されていて、その意味では加速できる部分とできない部分が明確なのがバイオの特徴かもしれない。いずれにせよ、生き物を扱うということは、あまりにも爆発的加速が見受けられるケースは稀だということが分かる。


バイオテックスキルにおける価値の真髄


そんなこんなでいろいろと論じてしまったのだけれども。

ここで言いたかったのは、プログラミングなんかよりも実は、バイオテクノロジーなんかの手技・スキルを身に着けておく方が30年後でも希少人財としての価値が高いのではないか、という点である。


プログラミングはおそらくあと10年もすればだれでも使えるような本当に簡便なUIUXと言語を持ち合わせたものを誰かが開発するだろう。でもまだ、バイオテクノロジーには民主化できないところとか、(よくないけれど)経験や感覚に依存する手技が存在しているのはたしかだ。

ここに関わるノウハウをもって社会に出れるときっと強みになる。
と、改めて思った日がありましたよっと。


参考文献・関連書籍


『ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか? 生命科学のテクノロジーによって生まれうる未来』