2021年12月29日水曜日

最後の1枚は渾身のプレキャストゲル:絶対に忘れられない「魂の電気泳動」~博士学位のかかった究極のリバイス実験~

目次


1. 魂の電気泳動の日

2. 研究室という"社会"の中で、「論文を書く」という事

3. 難解な問題を前にした解答者が、この世で最も欲しいもの

4. いざ、プレキャストゲルで、最後の勝負!

5. 編集後記 (教訓・謝辞)


魂の電気泳動の日


今日は、あの日から1年が経つ。1周年記念。
生涯にわたって絶対に忘れることがないであろう「魂の電気泳動の日」。あの日を振り返っておこう。






1年前の今日(12月29日)、僕は人生初となる主著の国際原著論文のリバイス原稿をsubmitした(できた)。この過程は、「魂の電気泳動」抜きには語れない。

なお、この時点で3月に卒業するための学位申請の期限は締め切りを過ぎていた。
単位取得認定退学の覚悟は一定できていた。
だけど、僕は諦めずにリバイス実験をしていた。


年始早々にacceptが来たら、もしかして事務室に土下座でもしにいったら申請を受け付けてくれるかもしれない。そんな、まさにほんの一握りの希望に賭けて、もう既にボロボロを通り越した体を動かす。

...ボロボロ?
そう。この時点でもう睡眠時間は毎日2,3時間とか18分とかそういうのを繰り返したりしていた。概日リズムなんてのは二の次。コロナ禍でシャワー室は使えないから、家に帰ってシャワーだけ浴びてまたラボにやってくる。みたいな。そんな生活を数週間続けてようやく迎えた最高潮の出来事が、昨年のこの日。


さて、「魂の電位泳動の日」。去年の12月29日の話をしようか。




研究室という"社会"の中で、「論文を書く」という事


12月29日が教授の年内最終出勤日という話を、何日か前に聞いていた。
「この日の16:00までに投稿できなかったら年始にしようか」という教授の言葉がひたすらこの1週間、僕の頭の中で繰り返されて、自分を突き動かしていた。
ラスト1週間はもう我武者羅に何も考えず体の動く限り実験に明け暮れた。


「自分で論文投稿するなら、別に大晦日とか元旦に、あなた一人でやればよくない?」って思ったそこのあなた。


はい、世の中そんな簡単ではありませ〜〜ん。




サイエンスの世界(社会)の中でも、全くもって非サイエンティフィックな「政治」だとか「しきたり」的な文化が存在するのである。これは別に僕のいたラボに限った話ではない。どこでもそういうのがある。そういうものだ(と、今は思える)。

僕の研究室では、学生は教授のアカウントで国際論文に投稿する。
(そして多分、ほとんどのラボがそうだ。)

だから教授がいないと論文投稿できない。
リモートがあるじゃないかって? そのような交渉を気軽にできるだけのボスならとっくにしている。ただでさえコロナがなければ年間の半分以上が出張で世界中を駆け回っている教授だ。そんな権威の方の時間交渉が気軽にできるだけの心的余裕などサラサラ学生にない。ましてや交渉の余地があるほど教授にも隙がない。
...それに、普通に考えて教授だって社会人だ。29日以降は休みだ。
そこで元旦働いてくださいなどと頼もうものなら、逆パワハラではないか。


だから事実上、この日の16時。これが僕の3月学位取得のかかった最後の、、そして一縷の望みであった。

「とにかく、何がなんでも絶対に、3月に卒業したい。する。」この1年間、何度も声を大にして叫び続けてきたこの言葉の言霊。本当にこれだけのために自らの全てを捧げていた。絶対に今日、論文のリバイス版を書き上げたかった。今日までに書き直しが必要な原稿は全て書き換えていたので、あとは(ほぼ)データを揃えるだけの状態にあった。

「今日が最後だ。今日こそ大丈夫。今日でやりきる。」
…てな感じで燃える朝を迎える事が出来ればよかったのだけれど、それどころではない。徹夜明けでやっぱり電気泳動を流しながら、迎えた朝10:00。きた。ラボのコアタイムは10:00から。みんながやってきてしまった。先生や学生がいつも通り、ドトールのコーヒーとかスーパーの安売り弁当片手に研究室にやってくる。

僕は焦る。なぜならこの時間から、機械や装置、設備を独占できなくなるから。
僕はというと、2,3日前の教授や准教授とのディスカッションで必要となったデータを揃えるのに必死。とにかくデータが足りないので、2,3日前のディスカッションの直後からひたすらサンプル用意してin vitro(試験管)で化合物処理してゲル電気泳動流すってのを繰り返していた。


10時にやはり、指導・サポートしてくれている准教授がきた。(時間がなくて)この先生にデータの解析をお任せしていたので、夜に撮り終えたゲル電気泳動データを渡して、okそうなものから順番に論文の原稿へペタペタ。解析データのディスカッションと論文データへの説明書きを加えながらも、足りないデータ分の電気泳動をまだ流す。

准教授先生から、データが論文に耐えられそうでない等の理由から「やり直し」判断をいただいたものもまたやり直す。
(なお、この先生には頭をどれだけ下げてもお礼をしきれないほどの恩がある。博士課程の3年間、本当に研究も何もかも知らない僕のことをここまで育て上げてくれた。一生の恩人かもしれない。。その話はまたおいおいどこかで出来ればと思う。)


難解な問題を前にした解答者が、この世で最も欲しいもの


さて結論、確かこの日だけで12枚くらいゲルを流した。
(スクリーニングとかしてない限り、普通の研究者は1,2枚/日, 多くて4枚くらいだと思う。)


でも僕は大量に流した。大量にデータが必要だったのもそうだし、もう一つ。
どーーーーーうしても、1枚(1サンプル)だけ綺麗に撮れないデータがあったのだ。
傾向としては仮説通りだし、同じ原理でいくはずの他のサンプルで同じ実験をしたら綺麗にデータが取れている。ほぼ100%うまくいくはずなのだけど。なんかタンパクの濃度が薄いのかrefoldingがうまくいっていないのか、何が原因かわからないけれど、とってもバンドが汚くなってしまう。(濃度領域として、かなり薄いものを見ようとしていたことは間違いないのだけれど。)


お昼過ぎてからも繰り返し何度か流したけど、やっぱりうまくいかない。
この時点で、あと2枚分の論文用ゲルデータを取る必要があった。

そして 気づけばもう14:00過ぎ。
タンパク質のゲル電気泳動には1回あたり準備含めて最短120分くらいはかかる(ゲルを固めるので40分, 流すのに40分、その他準備や染色、撮像等に40分)。解析して教授に見せるとか考えたら+30分は必要。2枚必要とはいえ、これは同時にできる。だ

けど、あと30分足りない。16時には間に合わない。
...ここまでか。


ああ、もう終わりだ。流石にもう1回は流せない。
あと、あとせめて1時間、いや30分だけでも短縮できないだろうか…。

・・・

・・・


難解な問題を前にした解答者が、この世で最も欲しいものとは何だろうか?
答え? いや、それはルール違反だ。答えまで与えられてしまったら、問題が提起される意味がなくなってしまう。
欲しいのは、女神のキスと一杯の紅茶。

 

つまり閃きと、いくばくかの時間。
そしたら、舞い降りてきた、天使のキス。

 



 

 引用:サマーウォーズ,  岩井恭平 



「「  プレキャストゲル !!!!! 」」

…。
説明しよう。
プレキャストゲルとは、何か。

タンパク質を扱う研究者や学生の中には、ほぼ毎日のように電気泳動(通称: SDS-PAGE)を行う。この電気泳動では、アクリルアミドゲル と呼ばれるゲルを(用事)調整する必要がある。おそらく、多くの研究室人材(および学生実習)ではこのゲルを作ることから電気泳動が始まる。このゲルを作るという操作、誰でもできる超簡単な操作にも関わらず、ゼリーが液体から固まるのを待つには時間が必要なことからもわかるように、時間がかかる。それに面倒だ。毎日している人がいる。
そこで!世の中の試薬会社さん(WAKOさん、ナカライさん、コスモバイオさんなどいろいろ!)が世にいる研究者たちのために、「あなたたちがもっと頭を使う仕事をできるように」と、あらかじめゲルを作ってくれた状態(あとはサンプル乗せるだけの状態)で売ってくれている。これが、プレキャストゲルだ。


富士フィルム和光さんのプレキャストゲル

画像引用サイト:https://research-supporters.com/2020/12/30/sds-page_precastgel/


いざ、プレキャストゲルで、最後の勝負!



話を戻す。
このプレキャストゲルさえあれば、僕の30分、短縮できるかもしれない。
誰か、プレキャストゲル。。プレキャストゲルを持っていないだろうか。。

いや、流石にラボにはないか、、。
10枚のゲルで1-2万円もする高価なシロモノだ、そんなのみんな持っているわけがない。

しかし、駄目元でラボメンバーに聞きまわったところ、なんと韓国から来た留学生が、プレキャストゲルを使っていたとの情報をキャッチ。10秒で彼女のところまで行って聞いてみた。

「君があの時使っていた、プレキャストゲルはないか?」と。

そしたらなんと、
「はかりやさ〜ん、ありますー!」と。

う、、嘘だろ。??!!?!まじ?!??!
プレキャストゲル持ってるの?!?!?

涙目になりながら、、
「よ、よよよ、4枚貸してください…」と縋った。
文字通り、すがりついた。

めっっちゃ優しいことに、なんのためらいもなく、彼女は僕にその4枚のプレキャストゲルを譲ってくれた。

… 救われた。(救われた瞬間の一つ。)


いや、いやいやいや、そうは言ってらいられない。
あと2時間しないうちに2枚分のデータを出さなければ。


さて、僕は2枚分のデータが必要と言った。しかし僕は留学生から4枚貸してもらった。
ダメだった時のために、予備で同じサンプルを1つずつ流しておこうと考えたのだ。
(これが後から奏功する。)


こうして無事4枚のゲルを流し終えたものの、あと1時間以内に定刻の16:00を迎えてしまう。
いざ撮像して、解析だ、解析。。
どんどんやらないと間に合わない。



1サンプル目、1枚目、、、准教授、どうですか?!?!?
「ok! あと1サンプルやな.」



2サンプル目、1枚目、、、准教授、どうですか?!?!?
「あかんな. Dose dependency(濃度依存性)が出てない」

まじか…。Orz…まじかすぎる。やばすぎる。。
あと本当に1枚、、予備で流して置いた時のゲルを撮像するしかない。
もうあと30分だよ、(涙涙涙涙)。かみさま。。。


もう本当にこれが最後の望み。泣いても笑っても最後の最後。


ゲルを切るためのヘラを握る。
ヘラを握った僕の手が、プルプルプルプル震えている。
本当に本当に震えが止まらなくて覚束ないよ。。
ねえ、止まってちょうだい僕の震え。


...いざ、撮像!!!
「よろしくお願いしまぁぁぁすっ!!」 
(Enter キー、ぽち!)

 引用:サマーウォーズ (角川文庫)  岩井恭平 



2サンプル目、2枚目、、、准教授、これで最後です。
今度こそ、どうですか?!?!?
「オオ!いける!!これで先生(教授)のとこ持っていきな」


2秒でUSBにデータを入れ込み、自分のPCで論文データへ貼り付ける。
そして、とりあえず教授の元へ駆け寄る。

「先生、、で、データ。出ました。」


曰く、よくやったね、どれどれと。

ここから2時間ちょっと、レビュワーへの回答文を一緒に添削してもらったり、データをチェックしてもらったりと次の勝負。正直1箇所でもなんかやり直しを食らったらもう間に合わないので、ドキドキも通り越して身体中が震えていた。


寝てないのに、全く眠くならなかった。




かくかくしかじかあったものの、なんとかsubmissionに耐えるデータを揃えてきたね、と。
こうして教授が帰る前に、なんとか間とかrevision のsubmission(提出)が終えた。

ホッ、、。と一息。
1年間お疲れ様でした。と。






後輩からの後日談、「これで秤谷くんも卒業できるな。」と、一言つぶやいて教授室を出て行かれたそうである。
このリバイス論文が年始にacceptされた事は以下の記事に詳しい。
 → https://h-hakariya.blogspot.com/2021/01/accept.html 


少しこのURLに記述があるのだけど、accept後も、相当慌ただしくしながら事務室に土下座したり共著の方々にサイン(ハンコ)もらいにコロナ禍で関西を奔走したりと結構なストーリーがあった。この辺もまたどこかで書ければと思っている。





編集後記:


教訓:ラボには必ずプレキャストゲルを用意しておけ


少なくともこの出来事があったので、僕が教授になったら必ず1枚はプレキャストゲルをラボに常備しておくことになるだろう。これ1枚で卒業が間に合うのなら、1万円や2万円。安いものだ。


謝辞:



ありがとう、プレキャストゲルを譲ってくれた留学生。
そして、ありがとう、富士フィルム和光さん。
感謝してもしきれないです。貴社のプレキャストゲルを僕以上に愛している人に、僕はまだ会った事がありません。あの1枚で、僕の卒業が決まったのだから。最高すぎます。

ありがとう、あの日、オンラインMTGをぶった切ってまで僕のデータ解析をしてくれた准教授先生。ありがとう、僕の背中を押してくれた全ラボメンバーたち。
去年の12月29日、僕の中ではラボが謎に、一体感を持っていた気がします。なんだか、全員に応援されながら最先端を走るマラソンランナーのような気持ちで電気泳動を流させていただけました。

博士になるって、こういう事なのか。


この日の夜、登竜門をくぐった感覚で超絶ぐっすり眠りました。



関連記事



血の滲む努力の末に...年始早々Accept! 学位申請にポスドク申請に奔走
 → https://h-hakariya.blogspot.com/2021/01/accept.html 



関連書籍


サマーウォーズ (角川文庫)