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大学に入るまでの生き方とか
【略歴】1993年 三重県伊勢市生まれ
2012年 三重県立伊勢高等学校卒業
2016年 慶應義塾大学 薬学部 薬科学科卒業
2016- 京都大学 医学研究科 医科学専攻
【何をしていたか】
①サッカー
大学入るまでの自分を語る上で絶対に欠かせない要素。
それは サッカー です。
このブログがあまりにも科学・医療要素が強い気がするので拍子抜けかもしれません。
しかし著者は10年以上、小中高、あと大学入ってから少しだけサッカーをしていました。
小学生チームでは市内でとっても弱いチームであったとはいえ、
キャプテンを務めていた経験もあります。
中学で鬼コーチにめぐり合ったりその他云々でプロは諦めてしまったのだけれども、
あの経験があったからこそ、今があります。
あと、やめたからといってサッカーが嫌いになったとかいうわけでもなく、
今でもたまに気が向くとフットサルしにいったり、
OB会でのサッカーに顔だしたりと、ボールは蹴ります。
OB会でのサッカーに顔だしたりと、ボールは蹴ります。
なんだかんだで、僕はこのスポーツが大好き。
②ボランティア活動的な
小中(高)時代は基本的にはサッカーするかファイナルファンタジーするかみたいな感じ。
(ちなみに小学生の時にプレイしたファイナルファンタジー8は忘れられない。
神なんちゃらっていうのがあるとしたら、僕はこれを推します。
BGMは今でも聴いている。)
、、それとあと、ボランティアの話。
サッカーかゲームか学校の宿題か。みたいな生活をしながらも、
運が良かったのか、社会貢献的な活動に触れる機会が何度かありました。
運が良かったのか、社会貢献的な活動に触れる機会が何度かありました。
代表的な活動を二つ挙げておきます。
■一般社団法人カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)の支援活動
これは中学時代の時、総合的な学習の時間に学校を通して取り組んでいた活動。
カンボジアに埋められたままの地雷を踏んで足を無くしちゃう子供達を、中学生なりのやり方で、なんとか支えようっていう活動。
サッカーやってたから興味持ったのかな。。
※なお、CMCについてはこちらを参照してください。
→http://cmc-net.jp/old/index.html
さて、僕はどういうわけか、授業だけじゃなくてそのほかの部分でもこちらの活動で
カンボジア支援に大きな興味を持って授業以外でもたくさんコミットしていた。
まず、学校が主催していたのは次のような取り組み
・「総合」の時間にCMCの方をお招きして、
カンボジアの文化、環境、そして地雷問題についてまでの幅広い講演
筆者も写っている. |
・「家庭科」の時間に、地元の特産品「松坂木綿」でできた製品を
学校近くの観光広場で販売するという、会社の模擬運営活動
→得た収益の全額をCMCに寄附する。
確かこれは感謝状か何かをもらっているところ |
これらの活動とは全く別に、確か自分個人、クラス全体でも動きがあった。
クラスの中で呼びかけて、自分の家のいらない筆記用具・文房具を回収し、
現地の学校に対して寄贈するみたいなことを生徒主導で自主的にやっていたと思う。
懐かしい。。
■あしなが学生募金
こちらは高校時代に行なっていた活動。
僕の高校時代といえばほとんどをクラブ活動(サッカー)と
受験勉強に捧げていたのだが、その中でも週末プロジェクトとして
高二くらいの時にこちらにどっぷりと浸かり込んだ。
住んでいたところが観光地だったので、そこに拠点を置いて
週末に地元の大学生達と共に街頭募金活動に励んだ。
この活動にはかなりの時間費やしたみたい。
本部からボランティア証明書をもらうにまで至った。
証明書はあくまで結果論だけど、
この活動も今振り返れば本当にいい経験になったと思う。
一日中ずっと立っているといろんな人が募金してくれるのだけれど、、
本当にその「いろんな人」ってどういうことなのか、多様性みたいなのを感じた。
・1万円札をしれっと入れてすっと去っていくおじさんとか、高校生にしたらほんと
イケメンどころじゃないですよね。
・お子さんとままが「ほら、これ入れてきて」ってやるのはほっこりするなぁ。
・わざわざ募金活動を見かけて家に帰ってお金を持ってきてくれる人がいた。
何かと思ったらスーツケース持ってきて、中から取り出したのは
小銭がドサーーーッと入っているボトル丸ごと。
これ全部寄付するから、持って行ってと。
こんな人本当にいるんだって、この衝撃はすごかったなぁ...
受験を経て、慶應義塾大学薬学部へ
高校生活ではこんな感じで息抜きしつつも、
割とどっぷり受験勉強もして、なんとか私立ではそこそこ名門の
慶應義塾大学に受かるわけです。学部は薬学部。
薬学部を選んだ理由は、実は全然かっこよくない。
(かっこいいっていう理由だけど、その理由はかっこよくない)
・高校時代の化学の先生がとにかく白衣きてかっこよかった
・ドラマ『ガリレオ』の福山雅治がとにかくかっこよかった
ほんとうにこの2つの理由だけで「科学者・研究者」を目指した。
まあ医学部でいうと、「白い巨塔」世代とか、「医龍」世代とかがあって、
ドラマに影響を受けて入ってくる人もいるみたいです。
それと似たようなものでしょうか。。
今もなんとかドクターコースまで進み、順当に行けばあと数年で博士号。
このころの自分にだけは、嘘をつきたくない。
余談
ちなみに、全くどうでもいいことですが、
ど田舎のしがない公立進学校というような高校に通っていた僕は、
一時期「マサチューセッツ工科大学」を目指していたことがあります。
学校の進路指導部と相談して留学に必要なSATと呼ばれる
日本でいうセンター試験みたいな試験の参考書とか買ってもらったりと
割とガチで狙っていたのです。
ところが、高校2年生の時の何かの模試の時です。
志望校書く時、今の模試は学校の番号をマークして、かつ
志望校の名前を書くっていう形で何校か志望校を提出します。
僕は「マサチューセッツ工科大学」を第一志望に書いたのですが、
日本の大学しかマークする番号がなかったので、マークは空白にし、
大学名のみ記名欄に書いて提出したのです。
と、ここまではいいのですが、そのあと担任の先生から職員室に呼び出しをくらいます。
2時間くらいずっと対面で説教されたのは、ふざけるなということ。
自分は本気で目指していたのに、なんだったんだろうな。。
こういう空気が今の高校にも残っているのだとしたら本当に残念。
慶應時代にやってきたこと
大学時代にはかなり真面目マンになりました。
住み始めた学生寮の影響がかなり大きいのもあります。
とにかく周りの同期(自分含めて8名)が本当に優秀。
全国模試で2ケタの順位にいる人たちばっかり。
なんで僕は選抜されたのか未だに不思議なくらい。
環境が刺激を与えてくれました。
それと、実はセンターで挫折しています。
それで大学生活では一転して、
かなりガチで勉学に励むようになりました。
住み始めた学生寮の影響がかなり大きいのもあります。
とにかく周りの同期(自分含めて8名)が本当に優秀。
全国模試で2ケタの順位にいる人たちばっかり。
なんで僕は選抜されたのか未だに不思議なくらい。
環境が刺激を与えてくれました。
それと、実はセンターで挫折しています。
それで大学生活では一転して、
かなりガチで勉学に励むようになりました。
とにかく勉学を最優先にして座学に取り組んだ結果は、ちゃんと出ました。
・GPA3.9(小数点第二位を四捨五入すると4.0)
・慶應義塾大学 主席卒業
証拠の金時計.裏には名前が刻印されている. |
勉学を最優先にしつつ、次のような課外活動に取り組んできました。
ちょっとだけかいつまんで紹介。
■駅伝
大学に入って初めて東京に住まいを置くようになりました。
初めの2年くらいはなんとかコミュニティを見つけてサッカーを
やるようにしていたのですが、なかなか
金銭的にも、場所的にも、人数的にも難しく、自然消滅。
代わりに足さえ走れたら体一つでできる運動、【駅伝】を始めるようになる。
大学3年生の時に板橋区の駅伝大会で優勝している。
(地元のおじいちゃんばっかが出るような大会なので自慢できるようなものではない)
■インターン@産業技術総合研究所 (AIST)
実は大学時代の研究室が崩壊する経験をする(学部4年夏)。
残された半年という期間を卒論のみに捧げるのはあまりにも勿体無いと思い、
こちらでIT創薬に関わる。
計算科学の初歩の初歩だけれどもここで教えていただくことができた。
さらに、今でもここの人たちにはお世話になっており、
この時の業績が2年後、3年後などになって発表されたりもしている。
■福沢諭吉記念文明塾 コア・プログラム11期
福沢諭吉記念文明塾についてはこちら
僕の大学生活を一番大きく変えてくれたと言ってもいいのがここ。
まさに、現代におけるリーダー塾(適塾?)。
ここでリーダーシップの素養とか、プロジェクトの立案から実行までのプロセス、
交渉力、論理的思考力、クリエイティブの大切さなどなど、全てを学ぶことができた。
毎期50名前後の採用があるのだが、履修生の多様性と意識がほんとうに素晴らしい。
・大学生25名+大人25名
・男女半々くらい
・大学生のうち、慶應生は半分くらい
・年齢は18歳から60歳くらい
これほど多様性が約束されたコミュニティなかなかない。
講師陣がものすごく豪華であるであることはいうまでもないのだけれど、
履修生の質の高さがとてつもなく評価されるべきだと思っている。
僕は、ここの第一日目のセッションでの【事件】を未だに忘れられない。
(そう、これは事件と呼ぶのがふさわしい。)
(そう、これは事件と呼ぶのがふさわしい。)
最初の講師が話を終えて、質問の時間に入る時のこと。
チェアマンが履修生に向かって、「何か質問のある人はいますか?」と聞く。
そこではなんと、
50人中50人が手を挙げていた。
50人中50人が手を挙げていた。
日本の教育現場でこれは想像できなかった。
日本も捨てたもんじゃないと本気で思えた瞬間があった。
茂木健一郎とのセッションにて. |
■国際薬学生連盟 世界会議@Holland, Portugal
大学2年と3年の夏のこと。
幸運にも「薬学生」の代表として選出され、
世界中の薬学生が参加する薬学生の国際会議に参加することになる。
IPSF(国際薬学生連盟)と呼ばれる組織が運営しているこの会は
毎年50-60ヶ国もの国から薬学生が一堂に会するという、
大学生にとってはまたとない機会である。
筆者が世界中に友達を広げるとともに、グローバルな視座を持つようになったのは
紛れもなくこの世界会議の存在のおかげだ。
世界のすごいところも知れたし、
しょうもないことも知れた。
しょうもないことも知れた。
日本のすごいところがどこかもわかったし、
どこが日本では劣っているのかも知れた。
パーティはこんな感じでハッチャケる! |
■一般社団法人日本薬学生連盟(APS-Japan) 財務統括理事
大学生で社団法人の理事を経験することは滅多にないのではなかろうか。
団体のこと1年生の秋くらいから知っていた。
ちょこちょことこの団体に関わることもあった。
一方、プラットフォーマーとして運営にどっぷり浸かったのはこの一年間。
財務統括っていう役職では完全に団体のfund(資金調達)を任されることになって、
プラットフォーマーとして会社・薬局への営業活動やら、あと事務局的な、、
とにかくバックオフィスでひたすら役割を果たせたと思う。
これもいい経験になった。
引退間際の引き継ぎMTGにて |
大学生活、そうこうしている間にも
賞を受賞したりと個人でのアウトプット(結果)にもこだわっている。
修士過程は京都にて。iPS細胞を扱う。
慶應義塾大学時代の研究室が諸事情で継続できなくなり、
私は卒業間際に進路の変更を余儀無くされてしまいます。
これが夏の話で、慶應の大学院の推薦入試の合格結果をもらってすぐ後のこと。
実際に推薦入試の合格証があるのにもかかわらず、大学からは他大への受験を勧告されました。こうして受験したのが京都大学医学研究科。
たった2週間くらいしか勉強する時間はなかったけれど、
なんとか大学院入試には合格しました。
(理系の大学院入試は一般的に6~8月ごろに行われる。)
おかげで現在は京都大学に来れたわけですが、本当にあの時は大変でした。
大学院の受験勉強を2週間でしないといけなかった。
この2週間は本当にひたすら教本を読んでないと落ち着かず、24時間勉強していた。
大学4年の夏は1ヶ月くらいで割と人生変わりました。
大学院に入ってからも、研究分野は
ケミカルバイオロジー と呼ばれます。
前にいた研究室と遠くはない。
...と、思っていたのですが、割り当てられたテーマがなんと、
工学研究がバックグラウンドの共同研究先とのテーマ。
びっくりすることに、筆者はここで全く知らない分野の研究をすることになります。
詳しくは割愛しますが、ここで筆者がする様になった研究は次の様な感じ。
「ナノファイバー技術」と「Body on a chip」と呼ばれるマイクロ流路技術を用いてiPS細胞の新しい培養環境を作ること
化学の要素はあまりなかったのですが、
それでも3Dプリンターを用いて一から自分でデバイスをデザインしたり
モノを創り出していくという感覚はまさにエンジニアの精神の様なところで
すごく面白かった。
organs on a chipはミクロ環境の中で細胞培養環境を作成しようという試み |
このマイクロ流路と呼ばれる体積が数マイクロLの空間の中でiPS細胞の培養環境を樹立するようなシステムを開発していました。
ケミカルバイオロジー的手法を用いたとすれば、この空間の中でクリックケミストリーと呼ばれる簡便な化学反応を起こして、ゼラチンに対して生理活性ペプチドを修飾しようとしたところでしょうか。
(専門外の人はきっと何言ってるのかわかんないですよね。飛ばしてください。)
...ですが、、
またまた修士課程の修了間際に研究テーマが変わることになりました。
理由は、プロジェクトの頓挫ですかね。
(こちらは次の項にて後述)
なお、詳細は 業績 のページで見ていただければと思いますが、
筆者が修士課程の間に課外活動として取り組んだプロジェクトは次の様な感じ。
◼︎Japan Youth Platform for Sustainability G7ユースサミット運営委員
◼︎映画『うみやまあひだ』上映実行委員
◼︎SBDDによる、分子動力学計算などを用いたSIRT1の新規阻害剤のin silico スクリーニング
◼︎inochi Gakusei Project コアメンバー
◼︎WAKAZOの設立
◼︎inochi Gakusei Project コアメンバー
◼︎WAKAZOの設立
博士課程で何をしているか
この様な感じでようやく今に至ります。
現在の所属・活動は次のような感じです。簡単に紹介します。
【所属】
◼︎京都大学大学院 医学研究科 医科学専攻博士後期課程
◼︎世界トップレベル研究拠点プログラム 物質-細胞統合システム拠点(WPI-iCeMS)
分野:ケミカルバイオロジー
◼︎文部科学省 博士課程教育リーディングプログラム総合医療開発リーダー育成プログラム (LIMS)
◼︎inochi学生プロジェクト
◼︎2025年大阪万博誘致 WAKAZO project
◼︎人と医療の研究室(社団法人設立準備中)
【Ongoing Projects】
■人工転移;がん細胞の「浸潤・転移」能を利用した心臓移植医療応用システムの研究開発
■NSCs;主に海馬にある神経幹細胞を活性化する低分子化合物のケミカルスクリーニング
■ナショナルデータベース(NDBs)を用いた医薬品安全性情報の企業株式に対する影響評価
■薬剤耐性菌(AMR)問題の解決プロジェクト(Dr.Susanos);主にタイ王国における不要な抗生物質処方を減らす診断アルゴリズム・アプリケーションの開発・学術的研究
■物々交換でどこまでいけるか!?
直接会って交換することをルールに、マッチ棒一本から物々交換を続けています
◼︎京都大学大学院 医学研究科 医科学専攻◼︎世界トップレベル研究拠点プログラム 物質-細胞統合システム拠点(WPI-iCeMS)
分野:ケミカルバイオロジー京都大学の化学研究所という拠点にて、医学研究をしています。
ケミカルバイオロジーとは、低分子化合物、生理活性小分子を駆使することで生命現象の営みを解釈しようとする学問領域のことです。
高校時代に低分子化合物のもつ美しさに惹かれ、
いつしかこの学問領域に浸ることになりました。
現在遂行中のテーマは大きく2つ.
1.NSCs;主に海馬にある神経幹細胞を活性化する低分子化合物のケミカルスクリーニング
海馬、すなわち脳の記憶に関わる領域に、「神経幹細胞」Neural Stem Cellという細胞が存在しています。老化によってこの細胞の活動(細胞分裂)は低下することが知られています。
活動の低下を防ぐことのできる低分子化合物を発見することで、超高齢社会を健康長寿に過ごすことのできる社会へと新たな切り口が開かれるのではないかと信じて、日々研究を進めています。
2. 人工転移;がん細胞の「浸潤・転移」能を利用した心臓移植医療応用システムの研究開発
こちらがメインのプロジェクト。
「がん」と言ったら悪いイメージしかないですが、私はこの「がん」の機能に着目。
がんに特有の「転移・浸潤」と呼ばれる機能があります。
これは例えば、乳がんの細胞が、肺に転移するなどの形で聞いたことがある方がいるかもしれないです。
もともと存在していた体の組織とは別の部位に、その組織の細胞が移ってしまうことです。正常な私たちの細胞ではこのようなことは決して起こりえないです。
ところがこの機能を、「細胞移植」に活用することができれば、どうでしょうか。
移植手術で今でも問題となるのが、移植に使う細胞の生着率や拒絶反応です。
私はがん細胞機能を移植細胞に付与するような細胞表面修飾技術の研究・開発に取り組んでいます。ケミカルバイオロジー的に、低分子化合物をこのシステムのコア技術としています。
◼︎文部科学省 博士課程教育リーディングプログラム 総合医療開発リーダー育成プログラム (LIMS)
大学院での研究のほか、副専攻として文部科学省の主導する
リーディング大学院にてプロジェクトを進めたり勉強したりしています。
ちょうど公衆衛生分野と深く関連のある「健康情報学」という分野から、
「ナショナルデータベース(NDBs)を用いた医薬品安全性情報の企業株式に対する影響評価.」というテーマで研究を始めたところです。
医薬品のもつ副作用の情報を国レベルのデータで見ている研究はまだ多くないので、新規性はあるのかなと思っています。
LINK-J SCOOP プロジェクトと呼ばれる一般社団法人ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパンが運営する小さな研究助成にも採択されたので、ちょっと気合も入っています。
Rで統計学んだり、マルチレベル解析とかまで取り組もうとして見たりとこちらはこちらで学ぶことが多いです。
うまくいって、臨床・公衆衛生の分野でも論文が出せたらいいなと思っています。
のんびり細々と。
◼︎inochi学生プロジェクト ◼︎2025年大阪万博推進 WAKAZO
ソーシャルな活動として取り組んでいるのがこちら2つ。
「若者の力でヘルスケアの課題を解決する」という理念のもと
大阪大学・京都大学の学生を中心として取り組むこちらの活動。
inochi学生プロジェクトが主催するinochi学生フォーラムでは
毎年中高生を集めて課題解決型の教育プログラムを提供しています。
課題解決策を考案し、さらに実行に到るまでを実際に行なっていただきます。
こちらのプラットフォーム事業で色々やらせていただいております。
具体的には事務局的な業務から、プロジェクト遂行、メンタリング、採用、オフィス管理、グランドデザインなど、やったことは本当に多種。
また、2016年度からは、
若者が主導する大阪万博の誘致推進としてWAKAZOを展開しており、
こちらの共同創設者として今も少し関わっています。
■わらしべ長者:物々交換で、どこまでいけるか!?
このブログをプラットフォームとして進めている唯一の活動。
詳しくはこちら参照。
ここでも簡単に説明しておきます。
マッチ棒1本から突発的に始まった企画で、物々交換をしています。
Instagramでも配信中。
ルールはたった1つ、直接会って交換すること。
権利などの交換もok。大きなもの(家とか、投資家前でのプレゼン権利とか)を手にして、次世代の若者のための投資に使いたい。現在の物は、長袖のトレーナー。さて、どこまでいけるのでしょうか。自分自身も楽しみです。
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...っていう様な感じで、だらだらと綴っていたらなんと、
約9000文字に!
これでもだいぶ端折っているので、
何かご質問などがあれば、 Contact からご連絡ください。
2019年もどうぞよろしくお願いいたします!
- 2019.01.19. 改変第1回
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最後まで自己紹介を見てくださりありがとうございました。
なお、Wantedlyのプロフィールページも見やすくなっております!
ご参照ください。