2019年1月10日木曜日

「幸せ」・「楽しい」の正体ってなんなんだ...!? - 日々の積み重ねとのトレードオフ

「幸せ」と感じる瞬間についての内省


新年の目標とかを考えていると、自分にとっての成功とはなんなんだろうって考えてしまう。自分はどうありたいのか。この先何でご飯を食べて、何を生きがいにしていくのか。どういう会社で働いているだろうか。


どういう時に「充実感」とか「幸せ」みたいなものを感じますか。「美味しいもの食べている時」とか、「映画見ている時」とか、「恋人や家族と一緒の時間を過ごす時」とか色々ありそう。でも意外とその答えってなかなか見つけにくい。一つの切り口として、「時間」を考えてみると新しいことが見えてくる。



短期的な「楽しい」と長期的な「楽しい」



「楽しい」と感じる瞬間ってどんな時だろう。一般的に、「楽しい」は短期的な幸福・快楽に帰着されてしまうことが多いような気がする。人はみんな、楽していきたいもの。

・美味しいご飯を食べている時
・趣味を嗜んでいる時
・友達とカラオケしている時
・二度寝できる時
・セックスしている時....


でも人間って不思議にできていて、短期的に幸福に感じたあとはそれの反動か、「やってしまった」とか「あ〜今日も〇〇してしまった」とか、そういう後悔とか後ろめたさみたいなのがやってくる。例えば、「あ〜今日も飲んじゃったよ」みたいな。


短期幸福と長期幸福はトレードオフである


かくいう自分も、目の前の快楽とか欲求に負けて(?)しまうことが多い。やっぱり僕も楽して生きていたいもの。今日はまあいいか、と一つタスクを先延ばしにしたりする。

でも実は目の前の「楽」は本当の「楽しい」とはなんかちょっと違って、後ろめたさみたいなの残る気もするし、他でやっていることと整合性がなくてその一回きりの楽しみにしかならないので、積み重ねて得られる「楽しみ」とは全く別物であることに気づく。

短期幸福は、長期的な幸せに対するツケだ。まさに、健康投資と同じである。10年後の動脈硬化に気を遣って食事をとるのか、今脂っこい美味しいもの食べてしまうのか、みたいな。っていうと大げさすぎだろうか。

確か短期幸福と長期幸福では、長期幸福の方が人生に対する充実度が高くなるみたいなエビデンスがあった気がする。小さな積み重ねを日々楽しみつつ、長期間続けることでしか成し得なかったこと・道を到達することによって幸せを感じられるのが最も幸せである。


長いことやらないと見えてこない幸せがある


...みたいなすごい抽象的な話だけれど、「スカイツリー」みたいな話で考えるのがわかりやすいかもしれない。

634mもある途方もなく高い造形物だけれども、毎日コツコツと積み重ねていれば必ずそれは完成する。たとえ1日50センチしか高さは伸ばせなくとも、2日やれば1mになるし、200日やれば100mになる。この200日サイクルを6回続けたらもう完成はすぐそこだ。

誰かが「100トンの土を運べ」という命題でこれを考えていた気がする。20 kg の土を積むことができる三輪車で1日50回運ぶ。これを100日続ければ、100トンの土だってたった1人で動かせてしまうのだ。


真の「幸せ」や「幸福」は長期間コツコツと続けることでしか達成し得ないところにあったりする。例えが悪いけれど、筋肉の不完全強縮のイメージだろうか(知っている人だけイメージしてもらえばいい)。


と、そんなことを考えながら今日も僕はコツコツと、大腸菌を育てるのである。