健康とは、ブームである?!
(いや前からも以下の考えはあったんですけど整理です。)
根拠となる文献や資料はあまりなくて、あくまでも妄想です。連想多めなので注。
さて、今回の記事で主張しようと試みるのは以下のスキームだ。
「健康とは何か? → 健康とは、ブームである。」
(注:筆者の立場はあくまでニュートラル)
ではまず、ブームとはなにか。
weblio辞書によると...
ある物が一時的に盛んになること。急に熱狂的な人気の対象となること。例:「ブームを呼ぶ」「サッカーブーム」
肝は「一時的に」盛んになる。という点だ。
本当に一時的か?というとちょっと難しいところがあると思う。
生老病死が人類の恐る4大なんとかとかも聞きますし、
秦の始皇帝の時代から、我々はやはり不老不死を求めていたとか、古代ギリシャの文献なんかにもたしか、不死の聖なる盃(エリクサー的な?)のがあったはずだ(いやちょっと適当とか憶測もあるんですけど)。
一定のレベルで人類は歴史を見てもずーっと健康を追い求めていた.
その意味ではブームとは言えない。なぜなら「一時的」ではないから。
いやでも高度成長期くらいから(?)、健康を求めすぎてはいないだろうか、と思うんです。
ちょっと、熱狂している感がある気がする。しかもちょっとなんだか間違った方向に。
健康とは、趣味である?!
そこで新たな仮説が浮上してくる。
それが【健康とは、趣味である】という説だ。
趣味とは、仕事とか生活と切り離して個人が楽しみとしている活動のようなものだとしましょう(筆者は仕事と趣味は切り離せないもの、というか活動の本質は同じだと考えますが...ここは一旦置いておき。)。
例えを出していうと、「健康」ってのは、「ゴルフ」とか「ゲーム」とかそういうのと同じなんじゃないかなぁって思うわけです。すなわち、何の意味もない(けど人間の本質を構成しているとも考えられる)活動。何の意味もない。だってゴルフしたからどんな意味があるかって多分何の意味もないじゃないですか。仕事上の付き合いとかそういうのは抜きにしたら、ですけど。
一人でパズドラしててもまあ、ゲーム会社に収入が入るとかはありますけど、その個人の人生や社会としては何の意味もまあない。(これもミクロに見れば目が悪くなるとかそういう話はあるかもですが。)
加えてこれらに共通していると思うのが、「ゴールが(ほぼ)永遠に達成されないこと」だと思うんです。実はこれ、趣味を考えるにおいてかなり重要な構成概念だと思っています。
健康は、永遠に達成されない
みんな実は、健康食とか何々サプリとかが効かないことなんて、多分知っている。
青汁とか、イモリの黒焼きとかコラーゲンとか、そんなの食べたって、人間の死亡率は100%です。いつか人は死にます。いつか歩けなくなるし、心臓だって悪くなるし、お肌だってシワシワになっちゃう(2021年現在は少なくともそう。)。
もちろん、多くの商品は身体に害悪を及ぼしたりとかはしないですきっと。過剰摂取とかしない限り。そして、こういう健康食品だとかってのは、多分ちょっとは血行良くなったりとか、するかもしれません(効果測定を自分でやったことないので憶測ですが)。
でも、理想としているよりは、効かないことがほとんど(だと思う)。
そしてこの事実(らしきこと)を、多くの消費者は多分もうすでに知っている。
それでも、健康食品とか、健康に対する熱狂は廃れない。
やっぱり、青汁が、売れる。
健康なんて本当は、永遠に達成されないゴールであると知っているのに。
なんででしょう。
それでも健康食品を買いたい、健康を追い求めたいのは、
健康という概念がその人にとっての、趣味だからだ。
ゲームをやりたい人がゲームをやるのは、別に深い理由なんてなくって、普通に楽しくってやっているだけ。人生暇つぶし。
健康食とか自分なりの健康スタイルとかを追い求めるのもやはり、人生暇つぶし。
*暇つぶしという言葉を悪い意味で使っていません。
...っていうお話、どう思うでしょうか。
なんとなくなんか言っているようで実は何も言っていない文章である気もしますが。
流行るということ:趣味・ブームの話ついでに
ブームとか趣味の話が出てきたのでついでに。
なぜ、物事が流行ったり(廃れたり)するのでしょうか。
この問いに対してはきっと、人間存在の本質へと迫る考察が必要なように思われます。多分哲学書とか読んだら古くから誰かがちゃんと考えていそう(誰か教えてください)。
あんまりそこの部分はよくわからずなので、(ググりもせずに)すっ飛ばしてしまうのですがとにかく。ブームを作りたいとか、流行りの先端にわたしものっていたいとか、
そういう欲求が少なからずの人の心には存在していそうです。
その「流行り」の進み方ってこうだぜってのをなんとなく体系的に表した図がマーケティングの間ではよく使われます。「イノベーター理論」とか色々呼び名はついてます。
注:引用は以下URL
https://www.onemarketing.jp/lab/btob-marketing/innovation-theory_195
もはやここからは完全に僕の感覚の世界に入ってくるのですが、イノベーター層、アーリーアダプターくらいにいる人たちは、みんなハイソというか、結構頭良かったりいい生活してたりすることが多い気がします。
というのも、特に技術革新については、【必ず初期はコストがかかる】という宿命があるからです。”コストがどんどん安くなるから民主化する”というのは普及という壁に結構大きな影響を与えている要素の一つだと思いますね。
したがって、初めは高価 。だから、ちょっと裕福な人たちの方が最初に手を出しやすいのだ。
そうして、そんな人たちはもうとっくに、知っているのだ。
私たちがすがろうとしている、【コラーゲン美白なんとか】だとかに効果がないことを。
この人たちは、何かの「流行りの先端にいたい、リードしていたい(優越感を味わいたい)」的なモチベーションがもともとあって、たまたまその対象が【健康】だった、というだけだと思うのだ。つまり趣味。
次に、アーリー/レートマジョリティ層。
この人たちはきっと、なんとなく流行りのものに触っていたい。みんなと同じだといいよね。同調している安心感。こういう心の安寧が欲しい。
そしてやはり、たまたまその対象が「健康」だった、というだけ。
やはり趣味。
こういうのは、クラブハウスなんかが流行ったのとおんなじと言えるかもしれない。クラブハウスの盛り上がりと廃れ(定着)はとてもスピードが早かったから例えるとわかりやすいかもしれない。
①まず、招待コードありま〜す、的な投稿して優越したい層 (アーリーアダプター)
②とにかく招待されておいてアカウントだけ持ってて聞き専でやってみる層(マジョリティ)
...みたいな。
このように考えていると、まあ健康とは趣味であり、目的のない目的であり、人類がそうやって追い求める対象の一つである、と考えることができそうです。個人の"価値観"がその追い求める対象を最終的には(ある一時点で)最適化された形でその人なりの答えとして表出させるのでしょう。
価値観とは何かという話になるとまた難しいが、ひとつには、経験や環境からその外枠ができるということは言えそう。全く触れたことのない価値観を突然有するということはないだろう。だんだん、考えというのも、色ぬりと同じようにグラジエントに染まっていく。
(...とは言え誰かが最初に「健康」という追い求める対象を作り出したのは確かだけれど。)
まあ、にしても最近(?)は、大変、それは大変に人々が健康という目的のない目的を追い求め過ぎているという指摘もよく目にしますが、これは一理ありそうです。
例えばこの本とか。
という結論で今回は締めておきます。
【注釈】
ただし、忘れてはならないこととして、"健康"とはちょっと別の文脈において、血眼になって「イモリの黒焼き」とかを求めたりする人がいるということです。ここでは深く触れませんが、"治療"の文脈でそういうのを買おうとする人がいます。末期ガンと診断されて、「このイモリの黒焼きが効きます。100万円です。」って言われたら効かないだろうとわかっているけれど、これに縋りたくなって買ってしまう人はいる。これは趣味としてやっているのではなく、「生きる希望」を得るための消費行動だと考えます。本文で触れた「健康」となんとなく違うかなぁと思うので最後に注釈しておきました。
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参考文献
1.
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参考文献
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書籍
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