業績振るわないしキャリアも決まってない自分
11月は本当に苦しくて仕方のない日々が続いていた。
その理由があんまりわからないけれど、今日、慶應時代の同期(今はとある会社でコンサルちっくな業務してはる)と話してそれがうまく言語化できた気がする。
なぜ苦しいか。単純化して言語にすると、
【他人から評価されないから】だと思う。
11月は研究費も2個くらい落ちるし、
プレゼンコンペはいい結果出ないし、
論文もあまり日の目を浴びないし
...って感じで落ち込んでいた。
当然すぎて気づけていなかったのだけれどこれは、【他人に評価されたい自分】っていうのがいるからなんだなぁって気づけた。
今日、彼に相談したのは、何か心の中にモヤモヤしたものがあって、業績も振るわないし、他人からも評価を受けないし、これからのキャリアも決まってないし、「ううわぁあああこれからどうしたらいいんだああああ自分」みたいな感じになっていたから。
相談してよかった。
彼にはなんだかんだ言ってライフステージのどこか大事なところで毎回相談に乗ってもらっているのである。
幼少期のモチベーション
彼がいつも言っているのが、【小さい頃、幼少期の体験に自分の内発的モチベーションが眠っていることが多い】ということである。
彼とはいつも、こうした内発的動機、無条件のモチベーションといったところから議論が始まる。幼少期を思い返すとどうだろうか。
①幼少期、「博士になりたい」といっていた(多分内発だけどto be)。
親曰く、生物博士になるといっていたらしい。ほんとかどうかは知らないけど、でも確かに、3度の飯より泥団子、木登り、虫取り、川遊びみたいな感じで、自然・生物との接点は他の子達と比べて圧倒的に多かった。
②「お前はリーダーになる」と言われて育ってきた(他者評価)。
今年になって気づいたことなのだけれど、「お前はリーダーになる」って言われて育ったような気がしている。少なくとも小学生の頃のキャプテン経験はそうした「親からの期待」っていうのがあった気がする。
自分はどうありたい(to be)か、何をしたい(to do)か.
こうした幼少期のことを踏まえて、では今は、どうだろうか。
PIになりたい(to be)
っていう言葉が一番最初に出てきた。
でもそれって結局、社会的な職業、ステータス(to be)であって、言い換える
=他人からどう思われるのか
っていうことに他ならない。
つまり、他人にびっくりしてもらいたいとか、
他人にすごいって言われたりしたい ということ
でもこれって、自分を突き動かすためのエンジンにはなるけれど、向かう方向を決めるハンドルにはならない。つまり、自分の専門分野が定まらない。
ああ。まさにそう。自分はこれからどの分野で【勝負しようか】って考えていた。
...というかそう。
その時点でもう自分は他者承認型なのである。
【どの分野で攻めるか】って考えているってことは勝とうとしているってことで、もうすでに誰かから認められようとしていること丸出しだ。
結局それは、【自分がどうありたいのか?】
【世界から誰もいなくなっても、君はそれをしたいのか?】っていう質問の答えになっていない。
...「結局自分はそんなことを考えていたのか...」って幻滅してしまいつつも、でもこれが悪い生き方というわけではない。
ああ、いずれにせよ、そう。どちらかというと、自分の今は「他人からどう思われたいのか」という評価基準でしか動いていなかったのである。
他者評価が基準では他人と同じ解像度のアイデアしか出せない
でも残念ながら、こうしたto beは後からついてくるもの。
PI、つまり自分で独立して研究を進める主任研究者は、「世界でその人しかできないから」とか、「その人しかやらないから」という研究テーマを推進していて、その結果業績が評価されてPIになるっていう順番だ。
それに、さらに苦しいことに、「他人に評価されたいから」というモチベーションで動いてしまうと、どうしても「one of them」になりがちなアイデアしか出せない。
つまり、まあ世の中でいうtop 10% のすごい人の中には入れるだろうけど、結局誰かの真似っこであったり、もうすでに実装できることがわかっている技術・仕組み・ビジネスモデルを整えるだけの問題である事柄を進めるのであるため、【誰がやるか】というだけの問題に取り組むに過ぎないということになる。1%とかonly1にはなれないのだ。
別の言葉で言うと、レッドオーシャンのなかに飛び込んでスピード競争をするだけになる。もちろんそこにはいいこともあって、雇用もあるしお金出してくれる人もたくさんいるっていうことだ。
ところがそれって、自分がやりたいことだっけ?ってなると、いや違う。絶対違う。
自分はゼロイチで誰もみたことのない世界観をこの世に生み出したい。
それが科学的な発見による人類の価値基準の変動であってもいいし、
マーケットのゲームを変えてしまうようなビジネスモデルの発案でもいいし、
人類の生き方を変えてしまうような技術の発明・実装でもいい。
To doで考えると、何を成し遂げたい?
僕の答えは、【発見・生産】。
こういうのからスタートすると、【やりたいことをやっていて、その結果評価された】というところに巡ってくる。
【誰も立てたことの無い仮説】をどう実現するか?には2通り
そうなってくると、誰もみたことの無い世界観の構築、仮説の構築が必要になる。
じゃあそれってどやるのか?と言う話になる。
これには2通りある、
1. 自分で仮説を立てるだけの力をつける(アイディエーション)
2. 誰かの持っている仮説を実証する(実装)
↓
1. 自分で仮説を立てるだけの力をつける(アイディエーション)
こっちをどうやるか。すなわち仮説に結びつくだけの大枠の箱(ゆるいアイデア)をどう見つけるのかと言うことだけれども、それは僕にとっては結構難しい。
余談だが、アイディエーションしたいなら ①指示(direction)できること ②達成のための手法を知っていること が条件だ。
大事なのはその箱を無邪気に(子供のように)信じているかどうか?
大人になったら人の周りには自然と【評価者】が増えていく。
どんどん増えていく。
でも子供の周りには評価者がいない(少ない)
だから、子供は自分の思い通りにいかないと、怒ったり泣いたりする。
つまり、子供にとっての自分の評価者は自分だけだからである。
これ実はとっても面白いことで、何を意味しているのかって言うと、
誰しもが【自分だけの仮説】って言うのを本当は自分の中に持っているということ。
それを見つけるのが、研究者の仕事でもあるわけだが。
それなのに、いつか人は、大人に毒されてしまう。
他人が【無理だ】と言ったらその無理だと言うロジックにはまりこんでしまうのだ。不幸にも。
でもそうじゃ無い。
【ドラえもんを作りたいんです】って言うのをバカにして無理だと笑ってはいけない、決して。そうじゃなくて、【どうすればドラえもんができるのか】って言う、それができるようになるための仮説を考えたり、作ったりして、それを自分にまず信じ込ませたりすることができなければならない。
何故ならばドラえもんは21世紀から来た未来の産物であるからである。
つまり、必ず未来のいつか、それは完成しているのだ。
ドラえもんじゃなくてもガンダムでもいい。必ず未来に完成している何かを作り出すと言うことを今、仮説として作るから、未来が生み出されとうとする。
これが、未来を創るという仕事だ。
自分の仮説を持ちたいなら...
無邪気にそれを信じるのが大事ってことだけど、これはどうしたらいいだろうか。
自分の仮説を持ちたいのなら、自分が(心のどこかで本来)考えている無茶な仮説に対して、自信がなくても、とことんそれに付き合ってあげることが大事。
この場合僕にとってしんどくなるのは、
他人から評価されなくても、その自分・自分の仮説を愛してあげなければならないということだ。
むしろ逆ぐらいがちょうどいい。
「世の中の人が信じてくれないこの仮説を何としても証明してやろう!!!🔥」くらいの気概。これで人々を巻き込む。だからもちろん自信だって満々。というか多分自信の有無にかかわらずやるんだろうな、こういう人は。
だからそれを信じてくれる(初めはもう本当に、「信じてくれる」ってより「騙す」ってことに近いのかもしれない)人が増えてくる。信じてくれる人が増えてくれるから、お金とかポジションが後から出てくるのだ。
2. 誰かの持っている仮説を実証する(実装)
これは結構簡単。誰かの持っている仮説(ただし、世界中の誰もがそれを実証していないものに限る)に対して乗っかればいい。
そしてまさに、身の回りにもそういう仮説を持っている人が幸いにも何人かいる。
余談1:1年休みだったら、あなたは何したい?
冒頭らへんに【世界から誰もいなくなっても、君はそれをしたいのか?】っていう投げかけがあったと思うけど、これをさらに身近な問いに落とし込んだのが「1年休みだったら、あなたは何したい?」ってこと。
これを考えたときに僕は、「自己成長したいな」って思った。
休む前と後とでもうすっかり自分が脱皮してしまいました、みたいなイメージ。
ちょっと待てよ。
自己成長したいと思うってことは、それはすなわち【今の自分に自身がない、今の自分が嫌い】ってことになる。
ああ、でも自信がない自分では、仮説を生み出せるようにはなれないんだったよな、っていう気づき。
余談2:自信がない自分を保とうとする自分
今の自分の状態を言語化すると一つにはこういう自分がいる。
どういうことか。
まず、多分自分の中のどこかに、コンプレックスがある。
これを埋めるために、努力して、勝って、他人から評価されて自分を保とうとしているのだ。
●●(スキルが必要なこと, 例えばHP作るとか、なんでもいい)ができねぇ
→ じゃあこの「できないことを、できるようにしよう」みたいな。
でもこれをずっとしていちゃあ、器用貧乏にしかならない。個性がなくなる。
(※これは決して悪いことではない。究極的なジェネラリストになれるし、究極のジェネラリストを求めている人たち、会社たちはたくさんいる)
ただし、この生き方じゃあ、さっきもあった通り、突き抜けられない。
10%に入れても、1%には入れない。
つまり、起業家・リーダー・研究者・その他 only1にはなれない。
歌手が歌手である所以は、歌手であることだけで十分なのである。
料理家である必要もなければ、運動ができる必要もない。
歌ってさえいれて、誰にも真似できない歌い方ができれば歌手なのである。
わい研究者、向いてないかも
とかなんとか、こういうことを色々考えていくにつれて、「あ、俺研究者向いてねぇかも」って思う。これは結構前から思っている。
「暇なときにやってしまう行為」のなかにアイディエーションがない。
研究関連活動(実験とか)がない。
自分が暇なときに、意識しなくても自然とやってしまう行為こそが、自分に向いているものだ。
それを内省してみると、やっぱり自己投資とかスキル的な成長とかばっかしてしまっている気がする。あとはコミュニティマネジメントとか。
で。結局振り返ってみると、自分は「追い込まれたとき」にうまくいく。
追い込まれたときにうまくいくってことは、向いてないってことだと思う。
何故ならば、おいこまれるまでそれをやろうとしないくらいには好きじゃないから。
つまり、他人から認めてもらうためにやっているに過ぎない。
モチベーションが違う。楽しいからやってるとかじゃない。
(ただし。追い込んで1番になれるとかっていうのはそれはそれで、ものすごい才能である。すごい。)
そういう僕でも研究者として成功するならばそれは、
向いていないとわかりきっていても、その向いていない道をとことんやりきって、
自信ついたときに、うまくいくのかもしれない。
んー。
でも結局は。なんのために頑張っているのか、自分が幸せかどうか
ていうのが大事(ありがちな結論。笑)。
結びに変えて
今日二人でお話しして得た所感の一つが、
【他人の言葉って甘くて信じたくなるよね】っていうものだった。特に今まで優等生扱いされてきた自分の場合特にそう。
うまくいくかいかないかなんて、実は自分が一番よく知っているにも関わらず、他人の【大丈夫】を信じてしまいたくなる。
これを信じれば自分の見たく無いところ、弱点欠点に蓋をしてしまうことができるからだ。つまり、他人は【自分の秀でたところ】しかしらない。大人になるにつれてそうなる。でも、自分というか人間はそうじゃ無いところばっかりで、穴がある。
それでもともあれ、
【今、自分が悩んでいるということ自体を他人に話している】というその事実自体がとても貴重であって価値が高いことは言えるよね、って結んでくれた。
確かに、この時間がもう完全に他人の時間をお借りして、自分のために時間を割いてくれとお願いしている自己投資の時間。
もしかして、もしかすると、この時間をどんどん増やしていけば、何か自分が本来見つけるべきだった仮説が見つかるのかもしれない。
でもその仮説は他人に話す時間に比例して、【自分の仮説】ではなくなって、【みんなの仮説】になる。しかしだからこそ、みんなにも自分が得たものを返していかなければならないし、みんなの仮説だからこそ、これが自信にもつながるのかもしれない。
参考文献
1.
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参考URL
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