2020年1月31日金曜日

刑罰という行為を「治療」と呼ぶならば...:社会正義とサイエンス ~科学は罪のあり方をどう変えるのか~_200108

The justice system and science


Punishment、つまり刑罰という行為そのものは、
精神的には人々の心の治療になる。

そう聞いとき、あなたならどう思うだろうか。

今日扱ってみたいのは、
刑罰という行為を「治療」と呼ぶならば...という仮説だ。

これは、【罪を犯してしまうような人は、病気(精神病)か?】
というかなり哲学的な問いへと繋がる。


実際、こうした議論は世のどこかに存在するだろう。
私たちは何をもって正義としていて、
どんな人なら正常と呼んでいるのだろうか。

いや、そもそも正常と異常と区別するものはあるのか。



そして、ここにサイエンスという人類の英知が介入する余地はあるのだろうか。。






目次


0.牢獄:Prisonと, 病院:Hospital
 ◆ギルティの決定要因



0. 牢獄:Prisonと, 病院:Hospital


仮に冒頭の過程が正しかったとする。
つまり、【刑罰】が、治療の一つの方法であるとする(薬や手術と並列)。

すると、例えばPrison(牢獄は) 、一種のHospital(病院)とも言えよう。
つまり、精神的に病んだ人々が社会復帰するためのRehabilitationの場だ。

これはすなわち、身体的に病んだ人(例えば骨折した人)が、
病院でリハビリして社会復帰しようとするのと何ら変わりない。


1. 刑罰にRCTが適用されるべきではないか?


ここで筆者は、一つ疑問を投じざるを得ない。

つまり、現行の【刑罰】という治療行為に対しては、
科学的な効力というものが認められているのだろうか、と。

手術や薬物治療による人々への身体的介入という医療行為は、必ずRCTと呼ばれる手法で統計学的に効力の有意性が示されたものである。

薬だったら例えば、こんな具合に試験が進む。
まず、10人のAグループに対して候補薬を投与して、別の10人のBグループには現行最新の治療薬を投与する。この時、Aの10人とBの10人は、年齢や性別、住んでいる地域、職業など、出来るだけ性質が同じ10人を選んでくる。その結果、AグループとBグループを比較して、本当にAの方が効果があったかどうかを確かめるわけである。
(※RCTについてはこちらに:http://www.healthliteracy.jp/yougo/ragyo/rct.html )


では例えば、「懲役5年」という刑罰を与えた人たちのことを考えよう。
この人たちの方が、刑罰を与えずに5年を過ごしてもらった場合、本当に社会復帰後(例えば5年後から10年後)の犯罪再発率は低いのだろうか?
多分、現行の刑法などをみてもこれがRCTもしくはそれに類似した方法で証明されたなんて書いてない。

筆者にとってはこれ、甚だ疑問である。


そこで残る疑問は2つ。

では、どうして有効性がわからないのに、その刑罰が適応されてしまうのか


→ これを考えるのは非常に難しい。
というのも、筆者が刑法などの専門家でないからだ。。。(笑)
Guilty な人に対する処罰をどう決めるか?

  というのはきっとそれだけでも多くの研究がなされてきていることだろう。
その辺のバックグラウンドが勉強できると、少しわかりそうだ。


  それともう一つ重要な視点だと思うのが、  過去これまでに、どういった経緯があって  懲役や死刑といった現在の刑罰が最適化されたのか?という点だ。

火あぶりとか、ギロチンとか、歴史的な刑罰の種類をあげればキリがないが、
これらが淘汰されていった人間側の理由が必ずあるはずで、
それを分析することは刑罰の有効性を考える上でもかなり意義があると思う。


どうして刑罰の有効性を証明しようとしてこなかったのか


→ きっと、刑罰の有効性を証明しようという努力は
   歴史的に多くなされてきたことだと思う
   (考察でしかないので、調べてみたい)。

でも普通に考えてわかるのは、【犯罪の起こる状況・環境や起こした人の人柄】などはあまりにも個別的であって、一般化することが非常に困難であるから であると思う。

ここをうまくサイエンスやテクノロジーが乗り越えられたとすれば、
きっと新しい刑罰のあり方が生まれてくる。

すでにもうありそうなもの を考えてみよう。

まず、AIに全てのこれまでの判例とその時の被疑者の性質・環境を学習させる。そしてこれらを有罪無罪、有罪の場合はその処罰の種類なども含めて学習させる。
最後に、これらを教師データとし、新しい被告の罰を自動的に判定してもらう。

こういったことは、普通にもう試みとして世にありそうだ。



さて、ここで話を元に戻そう。
これらの話を総括して、刑罰の適応にRCTは適応されうるだろうか。
YESだと思う場合、それはどのようにして実行可能か。

現状がこれがNo.として刑罰が決定されるが、
エビデンスのない【刑罰】という名の治療を人々に施すことは、
倫理的・道徳的に許される行為なのだろうか。


こういうことを考えていると、
筆者はもう何が正義で何が正義でないのかわからなくなる。
頭がくるくるしてしまう。




2. 何を持って精神的にnormal(正常)とするか?


さて、もう一つのお題。
【罪を犯してしまうような人は、病気(精神病)か?】
という冒頭の問いである。


「刑罰」という行為が精神病の「治療」であるとするならば、
「罪人」すなわち刑罰を受けるべき人は、「患者」・「病人」ということになる。
ここで、【罪を犯してしまうような人は、病気(精神病)か?】という問いが出てくる。



例を挙げて考えてみよう。
ちなみに、これらは実在する人の例だ。

ー統合失調症の患者さんが、町歩く人を銃殺してしまったら?

 Neuro Circit(神経回路)がおかしいから、この人は異常。
だから、無罪(病気でおかしいから許す!)です。

...こんなことは一つも法律に書いていない。
(書いてあったらそれはそれで倫理的に問題。)
 かといって、 この人を簡単に有罪(殺人犯)として逮捕できるだろうか?


統合失調症の患者が抱えているような感情を客観的に識別する術を、
今の科学技術は持ち合わせていない。
この患者さんが理路整然と判断できていたかどうかなんて、
科学ではわからない。

だからこそ、状況証拠でしか判断ができない。
それが現状だろう。


その近しい例が、青山横丁医師射殺事件(1994)だ。
  (※ただし、こちらの事件は注意が必要。射殺後に統合失調症との判断が下されている。)


ー脳腫瘍を罹患して以来、鉄砲(ガン)でたくさんの人を打つような狂気に変わった。


 これは、症状(Sympton)が, 人の振る舞い(behavior)を変えたと考えられている例.
 さっきの例とは「病への罹患と、犯罪行為」の因果が逆っぽい。

これも実際にアメリカあった例で、テキサスタワー乱射事件(1966)と呼ばれている。


ただし、これらの例で注意すべきは、他にも交絡因子がたくさんあるということだ。
「病気になったから、世間のことがうざくなって皆殺しにしてやろう」
というような動機も確かにゼロではないだろう。

だけれども、100%それが意図で射殺したかというとそれも疑問だ。
銃を乱射するような人は、別に脳腫瘍になっていなくたって、人を撃つかもしれない。


こうした因果関係を証明することは甚だ難しいのである。



それではいったい、何を持って正義としたらいいのだろう。。
あなたなら、このような例で上げてきた人を【犯罪者】と言い切れるだろうか。
彼らが【病人】であった場合、どうしたらいいのだろうか。


もうここまできたら、【病人】と【犯罪者】の区別さえ難しい。
正常とは一体なんのことを指しているのだろう。


(こういうことを考えると、ユダヤ教の大量虐殺, イェルサレムのアイヒマンなんかを想起せざるを得ない。。)


イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告




◆ギルティの決定要因


これまで、罪を犯す人の正常 / 異常を考えてきたが、
ここで、何を持って犯罪とするのか?(Guilty の決定要因)や、
犯罪とした場合の罪の重さはどう決まるのか

ということを考えておくことは一定の意味をなすと思われる。
前者を加害者視点・後者を被害者視点に立って考えてみよう。


 ー 加害者視点:犯罪(Guilty)の決定要因としてありそうなものの考察


犯罪を起こしてしまのはなぜだろう。
加害者視点で「罪」に至るまでの決定要因を簡単に考える。

きっと、人々の意思決定はこのように行われるだろう。
(かなりざっくり考察。)

 例えば, DNAが70%で外部環境が20%、その他が10%
 (※あくまでも数字はわかりやすくするための例。)

こうした様々な因子のそのバランスで行動が決定されているというのはどうだろう?
ないことはなさそうだ。というかそういうものだろう。

 「その他」には例えば、時間的要素があるかもしれない。
つまり、経緯があるまでの文脈(背景)なんかのことだ。

一方、「人間の脈絡のなさ」というのもまた厄介で、
特に動機もないけどなんとなく人を刺したかった」。
みたいなことも相当ある。

一体、行動に至る【動機】はどのように決められているのだろうか。
次は犯罪者の「動機・意図」についても考えることで、
「有罪無罪の判断基準」を考えてみよう。




 ー被害者視点:最大のポイントは、intention (意図)があったかどうか

犯罪かどうかは、どうやってきまるのか。
  また、犯罪だった場合、罪の重さはどう決まるのだろうか。

結局被害者からしたら【意図】が大事な気がする。
ものすごく原始的な回答になるけれど、
幼稚園から言われていたようなことに立ち戻る。
  「悪気があったのかどうか」。

被疑者に罰が下されるかどうかは、
悪気があったかどうかという点が大きな判断軸になるだろう。

そしてこの、「悪気があったかどうか」という軸はそのまま
罪の重さを決定する場合にも大きな判断軸となりうる。

 【悪気 / 意図の納得性】と、【罪の重さに対する納得性】は反比例する
つまり、不合理・脈絡のない殺人事件であるほど人々は残忍と捉え、
罪の重さは重たくなる(重い刑罰にしてほしいと思う)、ということだ。


そしてこの「納得性」がまた客観性のない概念なので、ますますややこしい。
深入りはしないけれど、「罪」の決定には人々の「納得」という点も大きく左右されるだろう。でも、下された判断に対して納得するかどうかなんて、人によってあまりにも個別的だ。


ここが、刑罰に対してRCTが適応されないもう一つの理由かもしれない。
罪を被った人が「納得するかどうか」という要素が考慮されるべきであり、
完全に客観性のみで刑罰の重みや有罪無罪の判断ができないのだ。

つまり、「刑罰」には、「治療」という要素が一定ある反面、
 「被害者の納得」という要素も考慮せざるを得ないのである。



3. Scienceとの関連


さて、こうしたカオス空間ともいえよう
人の感情が渦巻く世界の中で、
サイエンスは立ち向かう術を得られるのだろうか。
サイエンスの入り込む余地はあるのだろうか。

なんとなく【科学と犯罪、責任】などを取り巻くことで
考えてること・思いつくことを、ずばっと3つ出してみた。

◆認知行動療法・行動変容関連の治療:Therapy for Changing Behavior


医療に立ち返ってみた時、「認知行動療法」なるものが存在する。
これは、人々の認知や思考に焦点を当てて行動変容を促す治療法だ。

うつ病や不安障害、不眠症、摂食障害などの精神疾患に対して
効果が一定証明されており、近年ますます注目を集めている。
 ※詳しくはこちら:http://jact.umin.jp/introduction/

犯罪者を【病人】と呼び、その治療が【刑罰】であるならば、
認知行動療法なんかは【刑罰】として扱われてもいいのではないかとさえ思う。

どうだろうか。


懲役10年などといわれて毎日同じ空間で10年間同じことして過ごすよりも、
 10年間を認知行動療法に費やした方がよっぽど再発防止なんかにつながりそうだ。


それとも、もう刑務所の中での生活にはこうした効果の証明された
リハビリテーション的な行動が組み込まれるように設計されていたりするのだろうか。。


◆エビデンスを捻じ曲げる技術の台頭 (完全犯罪の台頭)
    Tech for Modifying Evidence


(例) ーAIに証言してもらう
ー写真とか証拠の音声を変えてしまう
-遺伝子ドライブで跡形もなく遺伝子編集を行う

ありふれたアイデアで恐縮だけれど、技術の台頭で
エビデンスなんて今やいとも簡単に捻じ曲げることができるだろう。

別の言葉で置き換えると、
【技術が何でもいじれてしまうようにしてきた】ことによって、
  変えられないものものがなくなってきているのである。

DNAも、指紋も、外見も、なんでも変えられてしまう。
実際、遺伝子ドライブ技術を用いれば本当の意味で誰がゲノムを編集したのか追跡不可能な形で遺伝子の編集ができる(たしか)。完全犯罪の形でのバイオテロは、既に実現可能である。(CRISPER-Cas9の技術で盛り上がっていたころにこれは実際かなり問題となっていたと記憶している。)


このほかにも、既にエビデンスの捻じ曲げが行われうるシンプルな例がある。
 テレビ・ネットなどのメディアを通した情報操作だ。
これは技術が可能にしたことである。

一般的にきっと行われているが、誰も規制なりしない・できないような環境をつくりだしてるのだと思う。(あくまで推測に過ぎないが、技術的にはあまりにも簡単にできてしまう。しかも、意図の有無にかかわらずに。)


  エビデンス歪曲に対する対抗策:Reactionを見る

では、完全犯罪には私たちは対抗できないのか。
きっと, これはいたちごっこのようなものなのだろうと筆者は思っている。


取り締まる側からしてもまた、
サイエンスやテクノロジーの強みを活かすのだ。

例えば、被疑者のReactionを見るっていう方法で
その人が罪を犯したかどうかを判定できるかもしれない。
 
→つまり例えば、特定の映像を見せたときの
制御不能な表情筋の変化反応みたいなのがあるとすれば、
それは意思による制御が不可能なものである。
誤魔化しがきかないのがサイエンスの特徴だ。

そのほか、被疑者にとってのトラウマ再現によって
反応がでるかどうかも見れるかもしれない。
(トラウマを再現させるのは倫理的配慮に欠けるが。。)


もはやSFの世界だな、なんて。
書いてて思うわけである。


◆自律性のあるものを作ってしまったときの責任を誰が取るのか?


こちらは既に出てきている議論だ。そして少し本題からそれる。

 例えば、AIでX線の画像診断ができるようにしたとする。 
 現在は90% を超えるような正解率で、AIは画像診断が可能だ。

 一方、例えば99%の正解率を誇るとしても、百人に一人は誤診となる。
 その一人が誤診されてしまって身に危険が起きたりだとか、
 命を落としてしまったりだとかした場合、一体だれが責任を取れよう。

 そのAIを導入した病院?
 AIを開発した開発者? それともその技術を導入した会社?
 はたまた、画像診断に同意した患者?

 技術の進歩に、責任の問題は不可避なのである。

 
なお、一応今は、技術を作った人が責任を持つよう言われるのが大多数の意見だ。
いやでも待てよ、なんとなくそうだけれども、
でも、それはなぜ??

よくよく考えたらこれをちゃんとしたロジックで説明すること、
めちゃくちゃ難しくないか。。


他の例でも考えてみよう。
誤診に近いようなAIのミスはよく問題になっている。
自動運転の車が事故したとか(実際報告されている)、
人を殺さないはずのデザイナーベイビーが人を殺したら?などだ。

【責任】を考える際に見分けがたいものの一つに、
【開発者 / AIプログラムの不注意(予期されるエラー)】がある。
  どこまでが不注意でどこまで責任なのか。

このへんもこれから我々が考えていかないといけない【問い】だ。
こうしたAIの責任を追及していて出てくるのが、
次の問いである。(ここでようやく本題へ)

(ちなみに蛇足ついでに追加すると、例えば自動運転車なんかのAI、もうすでに意思を持ってるかもしれない。私たちはそれを証明できない。自律性のあるものを開発した時には、そのもの自体に意思があるのかどうかも、議論になるだろう。)




4.まとめ_正義の対象となるのはどこまでか?
~正義の範囲~
what is the subject of justice??


 → まず共通認識いただきたいのは、
これを定義している法律は世界中に一つもない、ということだ。
今日の話題の究極の問いは、ここに帰着するだろう。

もう少し簡単に言うと、
「刑罰の適応範囲はどこまでか」ということかもしれない。 
 ー人が作ったもの( AI, ロボット, クローン )は?
ー動物は?
ーうつ病の人は?
ー赤ちゃんは??

一応年齢についてはなんとなく共通認識が取れている気がする。
でも、これもなんとなくだ。
【理性的な判断を下すことができる】みたいな
曖昧な表現で定義されていたと思う。

でも、本当にこれでいいのだろうか。
たぶん、答えはNOだ。まったく客観性がない。
AIに責任を適応できるかどうかなんて、わからない。
適応したとしても、被害を受けた人がいれば、そこに納得性がないだろう。



これから技術が進歩するにつれて、我々はますますこうした
哲学的な価値観の根源を揺さぶられるような問いに直面するだろう。



【刑罰】という行為を、【治療】と呼ぶならば...。
そんな仮定から、我々の生きやすさや技術との関連性なんかに
いろいろ思いを巡らせてみたのでした。



==おまけ==
文脈としてどこに置けばいいかわからなかったけど、記事を書いていたらこういう疑問も頭をよぎったので、ちょっとだけ加筆しておく。完全なる蛇足である。
(ぞっとするので、本当にちょっとだけ。)

◆人を殺すことが許される(許されてしまう)状況


 ー 正当防衛:self-defence ... つまり、他の人が自分を殺そうとしているとき.
                                             一番まっとうなシチュエーション。
 ー 戦争・テロ・暴動:war  ... 特定のコミュニティの中で殺人がよしとされてしまう 
 ー 全体主義化した社会:anti-jewish、つまりドイツのナチズムなどが代表か.
特定のカリスマによってルールが創られた場合. ホロコーストなど。
見方によってはこれもコミュニティ内での歪曲した価値観の創造に由来する。





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参考URL
次のURLを参考にさせていただきました。

RCTについてhttp://www.healthliteracy.jp/yougo/ragyo/rct.html
・青山横丁医師射殺事件(1994)
 https://www.cool-susan.com/2015/11/06/%E9%9D%92%E7%89%A9%E6%A8%AA%E4%B8%81%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E5%B0%84%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6/

・テキサスタワー乱射事件(1966)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E4%B9%B1%E5%B0%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6

・AIによる正答率の高い画像診断(2018)
https://www.osaka-cu.ac.jp/ja/news/2018/181024-2


2020.01.30.時点で全てのURLの有効性を確認済み
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関連書籍


1. 『正義の教室 善く生きるための哲学入門




2. 『これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)





3. 『全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】