2017年4月8日土曜日

「やりたいこと」「夢中になって取り組めること」がある人にしか経験できない体験

「私はやりたいことが、みつからない」


これはもう、若者だけにとどまらず
あの人この人抱えている悩みだと思う。

そして、今の自分もそう。
毎日のように、自分に対して問いかけている。

「自分は今のままでいいのか」
「本当に今やっていることを、このままやり続けてもいいのか」。



桜のきれいな季節は、出会いと分かれの季節。

Facebookをはじめ, Instagram, TwitterなどのSNSには
次のような投稿が溢れかえる。

・「大学卒業しましたー!!明日から社会人!」 
・「新年度からはほにゃららします!新天地での生活がたのしみ」
・「年度末、サークルの集大成が終わりました!本当に濃い一年だった!!」

もちろん、「いいね!」と思って押すいいねボタン。

たしかに、「いいね」と思ってる。
でも、実はそれってたいがい妬みながら押している自分もいる。

だって、実際うらやましいじゃん?
僕だって君たちみたいに夢中になってキラキラしたいって思うじゃん?


子供の頃のサッカーの話


なぁんてことを考えながらお風呂に入っていたら、突然思い浮かんだ。

「そういえば最近、挫折をしていない。」

僕が人生で、「ああ。これは挫折だったなぁ」と思う経験は、パッと二回思いつく。一回目は、中学生のとき。そして二回目は高三のセンター試験だ。

後者についての経験はまたいつか書くこととして、中学生のときの挫折はサッカー。小学生から始めて結局大学2年くらいまではなんだかんだで、ずっとボールを蹴ることになるのだけれど、挫折を味わうまでは本当に自分はサッカーだけで生きて行くことのできる人間だと思っていた。

小学時代はそれこそ「夢中」で、なにより三度の飯よりサッカーしてた。暇さえあればボールを蹴っていたし、ボールさえあれば暇じゃなかった。とにかくめちゃくちゃサッカーが好きだった。授業中もサッカーのことしか考えてない。卒業アルバムで書いたことも(着ている服も)全部サッカー。

あの時の自分は、本当に僕はプロサッカー選手になれるんだ、サッカーでご飯を食べていけるんだと心の底から信じ抜いていたし、そのほかの自分なんてこれっぽっちも想像できなかった。

だからこそ、こんなに好きだったから、中学生になってから、「挫折」した。


中学生で味わった挫折


私は中学校に入るにあたり、引越しが理由で転校している。

大好きな小学生時代のサッカー仲間と別れ、(高校での再会を誓った別れの会みたいなのは今でも鮮明に思い出せる。)市内で最弱の学区から、市内最強の学区への転校だった。それこそ小学生の頃にキャプテンを務めていたこともあるいし、それなりに自信はあった。

でも、中学生のとき、私は3年間必死でサッカーを続けたのに、ほんの1分さえもレギュラーとしてピッチ(サッカーコート)に立つことができなかった。そのくらい同期のみんなは上手だったし、また後輩も同じく強かった。Bチームとしてのプレイならまだしも、女子チームに自分一人入れられるなんてこともあった。

同期のレギュラーを支えるべく、Bチームの私はマネージャーとしての仕事もこなす努力をした。雨の日は図書館でサッカー雑誌を読んでサッカーの戦略はもちろんのこと、栄養のことや休息のこと、怪我のことなんかも必死で勉強して、何冊にもノートにまとめた。コートの外に置くスクイズボトルの位置さえも勉強した。

グランド整備だって、誰よりも積極的に行った。グランドを均した回数なら絶対に誰にも負けてない。だから、ホームグラウンドのことなら誰よりも詳しい。どこにデコボコがあるか、どこに砂が少ないか、どこがぬかるみやすいか、そんなの全部知りつくした。

あれだけチームのために尽くしたのだから。



たった1秒でいい。



レギュラーとして、同期の仲間と一緒に、ピッチに立ちたかった。
引退試合の日となった試合のことは未だに忘れられない。
引退した後になって、めちゃくちゃ悔しくなった。

当時のコーチはいわゆる鬼コーチだったのだけれど、本当に最後の最後まで鬼だった。中学3年生の自分に、希望のかけらも与えてくれなかった。正直、引退までに一回はピッチに立たせてくれるだろうと甘えていた。

後になって、「ああ、これは挫折だったんだ」って気づいた。


死ぬ気でやらないと、挫折は味わえない


今となっては、あのコーチには感謝している。
あそこで少しでも私に甘えさせれば、それこそ3年間が水の泡になる。
あの三年間を通して、コーチは私に現実を見せてくれた。

あれだけ必死に必死に努力したし、
親も、「サッカー」という手段で私を教育することに賭けてくれた。
賭けたってのは、サッカーに賭けたのもあるが、実際にサッカーをする私に対して払ってくれたお金の額も多分半端じゃない。

それでも一回もレギュラーとして試合に出場することのできなかった自分は、なんだったんだろう。

あれだけ死ぬ気でやって、ようやく挫折した。

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そうそう、で、結局なにが言いたいか。

最近挫折してないなって感じる自分がいたってことは、それだけ「夢中になれる何か」、「自分が一生を賭けてもいいと思える何か」が足りてないってことなんだな、って気づいた。


本当に「やりたいこと」をやっている人は、挫折を味わう。

ちなみに、サッカーの場合僕はわりと立ち直ることを諦めたけど、挫折したあと、立ち直ることもできる。それが、僕の2度目の挫折のパターンだった。

なぁんてことを、書いている花の金曜日。
疲れているのかな。最近VDT作業多いし本読んでないので、明日は電子機器から離れて久しぶりに読書でもしよう。